箱をかぶって生活する。
社会生活に参加せず、箱の中で生活をする。
いや、箱とともに生活すると言うべきか。
箱男にとって箱はどんな価値を持っていたのか。
衣服とも異なる。衣服は見る・見られると言う相互作用・間主観が生じるものの、箱の場合見るという機能は箱男に与えられ、他者は見られることのみであり見る事は与えられない。
これは平岡解説の言う視点の交換、偽物と本物が入れ替わると言う価値の変化とも言えるかも知れない。
そしてどうやら箱に入ると安心するようでもある。
「すべての光景から棘が抜け落ち、すべすべと丸く見える。(中略)この方が自然で、気も楽だ。」(P.21 )
箱は安心感の器、自分と他者・世界を隔ててくれる枠としての役割になるのかもしれない。
箱と共に生活する箱男、そして箱の持つ機能・役割を考えると、「ひきこもり」という現象を想起させる。
箱の中に避難し、自身の安全を確認する。多くの人は、毎回安心感がある場所に退避せずとも安心感は恒常性を保って外出したり、他者と交流したり、いわゆる社会生活を行う。
しかし箱男は箱から出ることをしない。ライナスのようにブランケットを握り締めるよりもより強固な、安心感が保てるバリアがなければ自分を保つ事ができない。
これはまさにひきこもりと同様の状態ではないか。
「さなぎ」という言葉で箱男の心理が描写されるように、ひきこもりの心理もさなぎと例えられる事が多い。
さなぎは撤退するためではなく羽化するための変態であって、ひきこもりもその人にとっての助走期間、人生の夏休みといえるのかもしれない。
箱男も、若い看護婦と接した事でこの安心感の枠が揺さぶられる事になる。
それは交流とも言えないほど低次元であり、おそらく箱男の妄想的知覚が主ではあると思うけれども彼の世界が大きく揺さぶられる事となった。
やがて箱を捨てられるかもしれないという淡い期待がよぎる。
『彼女との出会いで、もしやその機会をつかめたのかと、密かに期待していたのに・・』(P.64)
箱男は看護婦に対して自分を無条件に助け出してくれて心的にも性的にも受け入れてくれると期待したのかもしれない。
『小型精密機械』(P.122)のように言う事を聞いてくれる、望みを叶えてくれると信じたのだろうけども、病院の窓を覗きみたところで混乱が起きる。
(偽?)医者と看護婦との親密(?)なやりとりを見た途端、医者を贋医者と評価し、贋箱男と認識する。
おそらく、本当は自分(箱男)こそが看護婦を獲得するべきなのに立ちはだかった医者へ投影同一視が起きたのだろうとも考えられる。
これ以降は場面が目まぐるしくかわり、関係念慮、妄想的知覚にエピソード、いわば支離滅裂な病理的な次元へ降りてゆく。
どこで箱男を救えただろうか、などと考えるのは手前勝手ではある。しかし、少なくとも贋箱男と知覚した段階で何かできたのであれば、この後の物語もかわったのかもしれない。
そして、実際のひきこもりも同じようにどこかのタイミングで何かできたのではないか、という局面があったのかもしれない。
それでも、『全国各地にはかなりの数の箱男が身をひそめているらしい痕跡がある。そのくせどこかで箱男が話題にされたという話はまだ聞いたこともない。』(pp.14-15)のである。
(間違っても無理矢理部屋から引き摺り出すのは悪影響しか残さない事をお忘れなく。)
- 感想投稿日 : 2019年9月29日
- 読了日 : 2019年9月29日
- 本棚登録日 : 2019年9月26日
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