村上春樹らしい物語体験。
久しぶりの村上春樹。
村上春樹の小説はおそらく全て読んでいるはず。
でも僕はいわゆるハルキストではない。
1Q84は刊行されてすぐに読んだと記憶している。
かのBook1,2を読んで、あぁ、なんとも村上春樹だったなぁと満足。しかし1年後に刊行されたBook3を読んだら、感想はまったくかわってしまった。
あぁこれまでで最も村上春樹らしい物語だったのにBook3が加えられたことによって最も村上春樹らしくなく、これをもって村上春樹らしさは損なわれてしまったんだと。
まるでベートーベンが交響曲第9番を第3楽章まで作曲し、悩んだ挙句に合唱のある第4楽章を組み入れたように、最もベートーベンらしい交響曲が<合唱付き>のせいで最もベートーベンらしくなくなってしまったように。
そうは言っても僕はハルキストではない。
1Q84book3の体験から抜け出せず、『騎士団長殺し』を手に取るまで時間がかかってしまった。
この『騎士団長殺し』において村上春樹らしいところとそうでないところ。
喪失感と孤独感。
村上春樹の喪失感やら孤独感には主体性、能動性の希薄さも付随しているように思う。しかし、それらは決してただ流されているだけではなく、主人公が自ら、積極的な能動性をもって能動性を希薄にしているとも思える。
P.498『今までそれが自分の道だと思って普通に歩いてきたのに、急にその道が足元からすとんと消えてなくなって、何もない空間を方角もわからないまま、手応えもないまま、ただてくてく進んでいるみたいな、そんな感じだよ』
このありようは完膚なきまでに村上春樹らしい。
村上春樹小説の象徴たるパスタ、ウィスキー、ジャズ、クラシック。今作では題名から分かる通りオペラも多い。
そして、やみくろやジョニーウォーカーさんやリトルピープルを彷彿とさせる存在も健在である。
何度も言うようだけど僕はハルキストではないんだ。そこだけは勘違いして欲しくないな。
らしくないところといえば、奇妙なほどに細かい日本の地名、国道、県名や固有名詞の存在は村上春樹らしくないかもしれない。
そして、幻想、或いは非現実世界への導入もゆっくりかもしれない。
もっとも『ノルウェイの森』以降、匿名性は村上春樹らしさではなくなったかもしれないが。
少なくともこの第一部は村上春樹らしい物語体験だった。
とはいえ、僕はハルキストではないんだ。君が白樺派ではないようにね。
- 感想投稿日 : 2020年1月1日
- 読了日 : 2020年6月3日
- 本棚登録日 : 2019年12月31日
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