誰にでも、一冊は小説を書くことができるらしい。
文章のうまさは別として、自分の人生一個分は題材にできる。
次の一冊を作れるかどうかが小説家とそうじゃない人を分かつのだとどこかで聞いた。
この本は著者にとって、そういう一冊なのだと思う。小説じゃないけど。
学生運動世代が苦手だ。青い芝の会も、名前は聞いたことがある程度にしか知らない。
論理よりも勢いで突っ走る激しさは私とは相容れない。
「累犯障害者」には福祉からこぼれた障害者にとって刑務所が最後のセーフティネットだと書かれていたけれど、青い芝の頃の障害者は犯罪者にすらなれない。
これだけ無視された状態から分厚い壁をぶちやぶるには、そりゃダイナマイトでも仕掛けるしかない。
道理が見えないのは、無理を通すことを優先しているからだ。
70年代の部分を読むと、共感できない自分は共有せずに済む場所にいるのだということを意識させられる。
私が障害者関連のことに目を向けるようになったのは今世紀になってからだから、「介護に金銭を支払うことで対等になる」「金銭を支払うことで確実さと責任を求める」という考えを当然のことだと思っていた。
著者は無償介護の心意気こそ大切という時代の人だから、転換に葛藤がある。
その葛藤を見て初めて、自分にとっては当たり前すぎて深く考えたことがなかったと気づいた。
無料でしていただくことが「支配(介護者)-被支配(障害者)」を築くように、雇用関係が「支配(顧客)-被支配(労働者)」になってしまうこともあるよな、とか。
やっぱ災害ユートピア読みたいなぁ。
昔のことだと思っていたのに、「アシュリー事件」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/4903690814の現在も、同じ問題がそのまま残ってる。
「障害児を叩くな」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/475031112Xも近いかな。
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- 感想投稿日 : 2011年12月28日
- 読了日 : 2012年1月3日
- 本棚登録日 : 2011年12月28日
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