『見えない人間の肖像』は、
見ようとするからこそ見えないことが浮き彫りになる父親と、
それを執拗に見続けようとする息子との、
交わらないエディプス・コンプレックスの物語で、
ものすごく引き込まれて一気に読めたのだが、
一転、『記憶の書』は、
途中まで一体何が語られているのか理解できなかった。
文字としては認識できるが実感が伴わないために、
難解な現代詩を読んでいるような、
はたまた古典を眺めているような、
哲学書のようであり心理学の理論書のようである。
それでも何かが美しく、好ましく、
自分の中で繋がってくるまでとにかく読もうと決意し、
音楽を聴くようにページをめくっていたところ、
とある瞬間にわかったのだ。
これは、孤独についての物語であることが。
タイトルと扱っている内容から考えれば、
最初からからくりが明かされているマジックのような話だが、
これが本当に孤独に関する限りない内省であることに気がついたのは、
途中からこの表現は、
フロイト、少なくても精神分析に精通していなければ、
絶対的に不可能であるとわかる箇所があったからだ。
それからは急に私の物語であるかのように、
隅々の言葉が入り込んでくるようだった。
そしてすぐに種明かしがされ、
直接的にフロイトが引用され始めたのであった。
*
あることがわかるのは、無いことを感じた時のみ。
見ることの意味を理解できるのは、
見ようとする時のみ。
そしてそれ自体が目的であり、存在であるのだ。
- 感想投稿日 : 2020年5月13日
- 読了日 : 2020年5月13日
- 本棚登録日 : 2020年5月13日
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