仏教思想家のひろ先生がゆるい生き方を語ったもの。己自身を追い込む「まじめ」から距離を置いて「ずぼら」になってもいいのだ、という視点が示されます。
特に「幸せ」を捉えなおす切り口が光ります。ビジネス系の橘玲さんなども語っておられますが、既存の仕組みの中で競争し「奴隷の長」になるのが本当に幸せなのか?という問いを突きつけております。
◆目次より
・解決できない問題は解決しようとするな
・いい世の中などあるわけがない
・「何とかしよう」とするから、がんじがらめになる
・「悩む」のは時間の無駄です
○競争は悪だということを根底に据えてものごとを考えていくと、社会全体の見え方が変わってきます。会社のなかで出世だ、昇給だ、と競争に血道を上げていることのバカらしさがわかってくるんです。
悪を土台にした社会で出世したいとか、給料をもっともらいたいとか言って、あくせく働くのは、刑務所のなかで牢名主になりたい、威張りたい、というのとちっとも変わらないんですね。所詮、囚人のたわごとです。
○給料が半分じゃ生きられない、なんてことはないんです。公共の交通機関があるんだから、車なんか持たず、ゴルフみたいなお金がかかる趣味はいっさいやめる。旅行だグルメだなんていう"欲望"への出費は極力抑える。そして、仕事が終わったら、さっさと家に帰り、つましい家族団欒をおおいに楽しむ。という生活に切り替えたら、半分の給料でも十分にやっていけます。
○会社はあなたに優秀な社員になって欲しいと「期待」しています。優秀な社員とはどういう社員か、明確な規定はありません。かくかくしかじかであれと、明文化されて命令されているわけではないのに、あなたが勝手に想像して、そのあなたの想像どおりの模範社員になろうとして、なれないもので悩んでいるのです。
- 感想投稿日 : 2015年2月8日
- 読了日 : 2015年2月8日
- 本棚登録日 : 2014年11月23日
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