小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫)

  • 新潮社 (2014年6月27日発売)
4.10
  • (79)
  • (79)
  • (41)
  • (4)
  • (3)
本棚登録 : 1082
感想 : 87
5

 ハルキストでも熱狂的なオザワ信者でもないが、それでも、読み進むうちにどんどん膝を乗り出すように2人の対話に引き込まれてしまった。

 音楽家は、楽譜に書かれた音符を通し作曲家と対話することで音楽と向き合う。それに対して、楽器を弾かず、ろくすぽ譜面も読めず、だが人一倍音楽を愛する人間は、とかく聴こえてくる音楽のむこうになにかしら文脈のようなものを読み取ろうとするものである。ここでの村上春樹の立場は、いわばそうした「音楽愛好者の代表」にほかならない。ぼく自身、まさにそのようなごくふつうの「音楽愛好者」なので、この本の中での村上春樹の発言やその意図については手に取るようにわかる。

 ふつう、おなじ「音」について語ったとしても、こうしたまったく異なるアプローチの仕方で音楽とつきあってきた者同士の対話は失敗に終わることが多い。
 ところが、会話が「滑ってる」という印象を受けないどころか、むしろ「奇跡」と呼んでよいほどに濃い対話が生まれているのは、それが一流の音楽家でありながら誰よりも強い好奇心と行動力をもつ小沢征爾と、音楽愛好者でありながら作家として誰よりも深い洞察力と多彩な語彙をもった村上春樹という選ばれた2人によるものだからにちがいない。元々、音楽を離れたところで2人が友人であったという事情も大きいだろう。

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番をめぐっておこなわれた「第1回」のインタビューでは、村上春樹による巧みなリードの下、「指揮者という仕事」についてその手の内を明かすようなエピソードがさまざま語られていて興味深い。たとえば、太く長い「線」をつくることをなにより重視するカラヤンの音作りの指向性(文中、小澤は「ディレクション」と呼んでいる)は、たしかに指揮者カラヤンの音楽性を端的に表現したものである。

 いっぽう、第3回「1960年代に起こったこと」を読んで、ぼくは、他にもたくさん優れた才能の持ち主がいるなかでなぜオザワが世界の頂点にまで登り詰めることができたのか、その「秘密」の一端に触れえた気がした。それは小沢征爾の天性の「人間力」、そしていい意味での「鈍感力」ではないか。
 そのことは、第5回「オペラは楽しい」にもつながっている。しばしば「総合芸術」といわれ、音楽以外にも文学、美術、歴史などヨーロッパの文化や伝統に対する深い理解を求められるその特異な世界にあって、楽譜を深く読み込む力さえあれば十分通用することを小澤は証明してみせた。これは、もう、本当にすごいことだと思うのだけれど、ザルツブルグで、しかも『コシ・ファン・トゥッテ』(!)で彼をオペラデビューさせたカラヤンの慧眼にも驚かずにはいられない。

 だが、いちばん興味深かったのは、小沢征爾がスイスで開催している若い音楽家たちのためのセミナーについて語り合った第6回「決まった教え方があるわけじゃありません。その場その場で考えながらやっているんです」。現地で視察した村上春樹によるレポートも併せて収められている。
 技術を超えたところで、はたして「音楽」はどのように教えられるのか、教えられたものはどのように咀嚼され、継承されるのか。音楽家にとってはあたりまえでも、音楽愛好者にとっては秘密めいた儀式のようにもみえるそのやりとりが、「文字で」書かれていることにまず感動をおぼえる。目の前に、予期せぬご馳走を並べられた気分。
 「それはちょっと僕には聞けないことだし、聞いてもきっと正直には言わないだろうな」。村上春樹が、セミナーに参加した東欧人+ロシア人からなるクアルテットに「どうして(自分たちのルーツとは疎遠な)ラヴェルの楽曲をあえて選んだの?」と質問したと聞いたときの小澤の反応である。
 単身ヨーロッパに渡り、「東洋人がなぜベートーヴェンやモーツァルトを演るのか? バッハは理解できるのか?」と言われながら現在の地位を得た小沢征爾の胸中には、そのときさまざまな思いがよぎったことだろう。そして、なによりも大切なのは、音楽と深いところで対話すること。それさえできれば、どこに行っても通用する。彼が若い音楽家たちに伝えたいのは、あるいはそういうことかもしれない。

 文庫版の付録には、一度は引退を決めたジャズピアニスト大西順子を小澤がサイトウキネンフェスティバルになかば強引に引っ張り出し、共演を果たした際のエピソードが明かされている。そんな出来事があったとはまったく知らなかったのが、たまたま入った喫茶店で小澤・大西両氏の打ち合わせ場面に遭遇したぼくとしては、とても興味深かった。

 たぶん、いずれまた読み返すであろう刺激的な一冊。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2014年7月7日
読了日 : 2014年7月7日
本棚登録日 : 2014年7月7日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする