中東迷走の百年史 (新潮新書 71)

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  • 新潮社 (2004年6月1日発売)
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感想 : 20
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「中東」と言う存在は、距離だけではない”遠さ”が日本にいる私たちにとって存在する。


日本人のほとんどが中東地域に関してとても疎い。
イラク、イラン、サウジなど有名なこれらの国を想像すると、出てくるのはターバンと石油と駱駝などなど。
少なくとも私の抱く安直な中東のイメージはそんなものだ。
とはいえ、ここ数年中東エリアは常にニュースでも大きく取り上げられる場所となってきた。
かつてバルカン半島が「ヨーロッパの火薬庫」といわれていたように、アラビア半島は今では「世界の火薬庫」と言えるかもしれない。
では、そのソートで中東を眺めたときに浮かぶイメージを挙げるならば『民族と宗教とテロ』だろう。
非常にいやな揃いだが、これこそが現代アラブが抱える火種なのだ。
と、ニュースを見続けた限りの情報で曖昧に言葉を並べてみたが、先に挙げた三つの火種のうち、私は特にアラビア半島における宗教問題に関心がある。
世界の有名な宗教の聖地があのエリアに集中しているというのは非常に興味深い。
アラビア半島周辺は元々非常に高度な文明が発展していたエリアなのだ。
それがなぜ今は火薬庫、と化したのか。
それを深めるためにも確かな内容を把握しようと考え、今回この本に着手してみた。



内容としては入門編、それもとても親切。
章ごとに主なエリアの端的な解説を行ってくれる。
読んでいて全体で感じたこと、つまりアラビア半島の歴史を物語るのに外せない要素としては、『列強支配、冷戦、独立』の3つの流れが挙げられると思う。
その前に挙げた現代の火種となる3要素は勿論だが、アラビア半島が現在ほどの混迷を迎えたのはこの三つの経由に各国がもろに影響を受けて、大きく乱されたことにあると思う。
ヨーロッパ諸国による植民地政策によって国を支配され、そのまま世界大戦に突入。大戦後に独立の形を取る国も多いが、そこでも先進国の支配を抜け出すことはなく、そのまま冷戦。つまり資本主義対共産主義の戦いに飲み込まれる。
この流れはいわば日本すらも例外ではない世界的な風潮とも言えるが、問題はその後の混迷だ。
散々色々なものを押しつけて先進国、要するに支配者達は簡単に手を引いた。
引き際というのは何かにつけて難しいものだ。それもタイミングとやり方次第では水を思い切り濁すことがある。
特に国という単位よりも部族や民族の意識がこの地域は大きいがために、このエリアを細分化するのは非常に難しかった。しかし手を引いた支配者達は自分たちの都合により引いた境界線をそこに残したままにした。搾取に気遣いなんてものはないのだ。それが問題をさらに難しくしたのだ。
ただでさえ、わたしが先に着目したようにこのエリアには少なくとも3つの宗教の聖地が点在する。
そうなってくると金を目的とした競争よりも事態はややこしくなってくるのだ。
言い方こそ悪いが大義名分が用意できるのだ。
そして人の絶望に宗教はすんなりと溶け込めるのだから。



現代の火薬庫の混迷は、先進諸国からのしわ寄せに他ならないと私は思う。
犠牲なんて言う言葉で語ってしまうとあまりにも情緒的でそぐわないようにも思えるが、世界の進みと搾取されるが故に乖離され続けた存在が今になり、模索をはじめた結果の現状なのかもしれない。
抱えているものが大きいだけになかなか周辺が放っては置かないだろうが、それにより痛みを受けるのはお互い様とも言えるのかもしれない。
極論すぎるかな。
痛みがなければ勝ち取れないものの方が多い。しかし痛みにさらされる苦痛は論理を簡単に凌駕できる。
しかし、すべては日本なんて言う中東とはかけ離れた辺境の地で私が抱く勝手な鼓舞で、現実味は全くないのだ。
でも思う、やはり最後にはあきれるぐらいの平穏が成立すればいいと、ここでもやはり情緒的な感想になってしまうがね。
日本人はあまりにも無関心、過ぎるのかもな。



入門編としてはとてもオススメな一冊。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 嗜好・思考・志向
感想投稿日 : 2010年12月8日
読了日 : 2010年12月8日
本棚登録日 : 2010年12月8日

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