初めて手に取ったのは、大学生時代(1990年代)での最初の概論でのテキストにて、
確か、1961年のカー氏の、ケンブリッジ大学での講演録を基調にしていて、
日本での初版が1962年ですから、訳語としての言い回しはやや古めで、
正直とっつきにくい部分もありますが、内容としてはよくまとまっているかと。
- 歴史家の機能は、(中略)現在を理解する鍵として過去を征服し理解すること
その上で、、
- 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、
現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話
との点は、私にとって非常に肚落ちのする内容で、今でも(2020年代)、
各種の物事に対しての考え方とか、立ち位置への基礎になっていると思います。
自分なりに解釈すると、歴史とは、一つの「事実」と、その「事実」に対する解析や、
議論の積み重ねの結果としての、様々な「真実」の集合体、であって、
その事実とは人の行為の積み重ねで、真実とはその行為への、
「真の動機(原因)」に直結するもので、多様性が前提となる、くらいでしょうか。
そういった意味では、とある寄稿のなかで塩野七生さんが述べられていた、、
- 歴史とは学ぶだけの対象ではない。知識を得るだけならば、歴史をあつかった書物を読めば済みます。
そうではなくて歴史には、現代社会で直面する諸問題に判断を下す指針があるのです。
なんてことも思い出しながら、、「知識」を集約しただけでは生きていく上ではさして役に立たない、
「生きた学問」として活用していくためには、今現在への「社会的有用性」の模索も必要、なんて風にも。
そしてこれは何も「歴史学」に限った話ではなく、
科学するを前提とする学問すべてに求められていくのかな、とも思います。
そう思うと「歴史的な事実(事象)を今の価値観で裁断する」のには懐疑的で、
- 今日、カール大帝やナポレオンの罪を糾弾したら、
誰かがどんな利益を受けるというのでしょうか
との感覚も非常に納得できます、、法治でいう「法の不遡及」とも通じるかと、、
日本であれば織田信長による比叡山焼き討ちとかが、一例になりますかね。
(個人的には、信長時代の価値観でいえば、焼き討ちも妥当、と思っています)。
なんてことを、ここ最近のANTIFA(アンティファ)なる無政府主義のテロ集団が、
銅像破壊、言論統制などで過去の歴史を“無かったこと”にしようとしてるな、と見ながら、
これは「人の営みとしての歴史に対する冒とくであり、挑戦である」と、怒りを禁じえません。
たびたびに、歴史学とは私にとっての基礎学問だなと、
そんなことを思い出させてくれる一冊です。
- 感想投稿日 : 2020年6月15日
- 読了日 : 2011年5月2日
- 本棚登録日 : 2020年6月15日
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