「黒人もインディアン(ネイティブアメリカン)も白人も貴賤はありません」「嘘をついて人をだましてはいけません」「夫は妻に暴力をふるってはいけません」「富める者は貧しい者を慈しみなさい」…
W.フォークナーは南北戦争後の1897年生まれであり、すでに制度上黒人奴隷は解放されていて、いくら南部出身とはいえ相当程度の進取の精神が吹く時代に成長し、先に書き連ねたような私たちとほぼ類似する近代的な道徳や常識のもとで育っているはず。なのになぜ、差別、暴力、殺意、憎悪etc.を、それらがまるで南部の土着のものであるかのように執着して描写しようとしたのだろうか?
いや、私は決してそれらの描写を忌避するつもりはないし、現代日本の道徳感情から非難するつもりもない。
逆にフォークナーの態度がまるで「人間の負の部分にこそ、人間の性質の根源がある」と言わんばかりだと思えて、そこに人間の真実の描写を徹底しようとする作家としての“良心”や“純粋さ”を見いだすのだ。
他人は意外に思うだろうが、私はフォークナーの一連の作品の中に、私がはまった「闇金ウシジマくん」(真鍋昌平・作)と同じ根っこのものを見い出す。
ウシジマくんに登場する反社会的、反道徳的な人物群の一挙手一投足が、表面上は正視に堪えない人間のネガティブな面の描写であっても、逆にそれが人間存在の本質だと言い切ってもいいとまで思えるのだ。
つまりフォークナーも真鍋さんもこう思ってるはず(と勝手に思っている)。
-「世間一般の安定した良識なんかじゃ、とてもじゃないが人間本質は描けない。血しぶきや罵詈雑言や裏切りなどの目や耳を覆いたくなるような人間の所作の中にこそ、人間の真実があるのだ!」と。
「ウシジマくんが好き」と他人に言うと、まずは「ええっ!?」と言われ、たいていはこちらの良識を疑うかのような表情をされる。このフォークナー短編集を好きと言ったら、おそらく同じような展開になるのではないだろうか?
それでもあえて、きれい事だけの世の中に疑問を持ち、自分が汚れてでも人間存在の本質に迫りたいという知的好奇心を持つ人ならば、(第一印象は悪いとは思うが(笑))この短編集を読むことを薦めたい。
- 感想投稿日 : 2019年10月12日
- 読了日 : 2019年10月12日
- 本棚登録日 : 2019年10月12日
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