フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

  • 新潮社 (2006年5月30日発売)
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「ネタバレ もクソもねえよ。最終定理が証明されるんだよ」でお馴染み、フェルマーの最終定理です。

今を遡ること350年プラス20年前、天才数学者のピエール・ド・フェルマーが残した言葉が、その後3世紀以上も数学者を悩ませた数学界最大の難問となった。それは

〉「3 以上の自然数 n について、x^n + y^n = z^n となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない」

〉私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない

と言うメモ書きだった。
これを名だたる天才たちが挑み続け、敗北し続け、ついに1995年、アンドリュー・ワイルズが証明に成功する。
その過程についてのノンフィクション。

これを読むまで、そんなに誰も解けないような問題なんて、フェルマーという人も解けてなくて適当に書いただけなんじゃないの?と思っていましたが…。
どうもこのフェルマーという人は変人中の変人で、

〉フェルマーにとっては、証明を公表して夜に認められたところでなんの意味もなく、一人静かに新しい定理を創り出すという純粋な喜びだけで満足していたのである。とはいえ、猜疑心が強くて付き合いの悪いこの天才には、人を困らせて喜ぶようなところがあった。そんな性格と秘密主義とがあいまって、彼がいざほかの数学者とやりとりをするとなると、ただ相手をからかうことだけがその目的となるのだった。(p86)

というのだから、この走り書きも彼は実際に証明していたと見られているのだ。走り書きは他にもたくさんあって、たくさんの新証明が公表されないままになったと。

フェルマーの最終定理は、長い間重要な定理だとは思われていなかった。
これが名声を博していたのは、単に非常に難しい、というそれだけだった。
ワイルズも「純粋数学者というのは、手ごわい問題が、そう、未解決の問題が大好きなのです」と言っている。

この本が面白いのは、ただの超難問のパズルと思われていたフェルマーの最終定理にチャレンジする過程でたくさんの天才数学者が登場し、少しずつ数学界に知見を加えて数学の世界を広げていくところだ。
そして最後には谷山=志村予想という現代数学に革命を起こす予想と結びついて、数学の中心に躍り出るというダイナミックな史実。


以下は備忘というか、この本の、ワイルズの証明までの歴史。

長い歴史の端緒として、オイラーが背理法の一種である無限降下法を使ってn=3の場合を証明して最初の突破口を開いた。
19世紀に入ってソフィー・ジェルマンが特定の素数について道を示してn=5とn=7が証明された。
コーシーとラメの二人が完全証明に手をかけたように見えたが、失敗。
クンマーが、当時の数学のテクニックでは完全に証明できないことを示した。
1908年になって賞金10万マルクという懸賞金が懸けられる。
1931年に発表されたゲーデルの不完全性定理が「数学は論理的に完全ではありえない」ことを数学者たちに認めさせ、フェルマーの最終定理のような問題は解けないかもしれないとほのめかした。
それからノイマンとチューリングのおかげで大戦後から1980年代までにn=4,000,000までの場合が証明された。
1960年代に重要な数学的仮説が発表された。谷村=志村予想と呼ばれるそれは、楕円方程式という数学のジャンルと、モジュラー形式というジャンルの、まったく別の世界を結び付けられるかもしれない仮説だった。
1984年秋、谷村=志村予想が証明されることが、そのままフェルマーの最終定理の証明につながるという報告がされる。
1993年6月、ワイルズがケンブリッジの専門家会議で証明を発表する。
1993年12月証明に欠陥があることが分かり、1995年5月修正された二篇の論文が掲載され、ついに証明が完成することになる。


さて、翻訳作業が行われた1999年12月時点では谷山=志村予想は一部についてしか証明されておらず全体の証明は査読中であるとの記述がある。
ネット検索した限りでは証明は完成し、「モジュラリティ定理」となっているようである。作中で言及のあった数学の大統一を目指すラングランズ・プログラムにも前進があったということでいいのかな?

借りた直後に図書館が休館になったので、じっくり読ませていただきました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ノンフィクション
感想投稿日 : 2020年5月1日
読了日 : 2020年4月27日
本棚登録日 : 2020年4月28日

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