正しさではなく愚かしさで愛され、
強さではなく熱さで我が子を愛し抜く人「ヤスさん」
ナレーションが「ヤスさん」というものだから、そっと近所の親子を見守っている気持ちになる。
あとがきで重松さんが書かれていたように、
「ヤスさん」は確固たる古き良き(というのかな、寡黙で強い‥というような)「親父像」ではない。
不器用で、意地っ張りで、豪気で、へんなところでヘソを曲げてしまう。
ああ、こういうところあるよねぇと苦笑いをしてしまうのは、「ヤスさん」のなかに父親だったり誰かを重ね合わせてしまうからなんだろうなと思った。
だからこそ、読んでいてほっこり気持ちが温かくなり、その不器用さに時に泣けてしまった。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
未設定
- 感想投稿日 : 2013年2月17日
- 読了日 : 2013年3月13日
- 本棚登録日 : 2013年2月17日
みんなの感想をみる