著者である村上春樹氏が、小説を書き始めてからオウム事件を経て何がどう変わっていったか、それをパラフレーズして物語とした作品であると確信した。
Book2の最後で「罪を犯した青豆」を自決させケジメをつけたはずが死んではいなかったというBook3。それ故に牛川が天吾と青豆を邂逅させるために動き回り、最後は死んでしまうことになった。この天吾も青豆も、そして牛川も村上春樹の分身であるように思われる。
この物語は「オウム」を想起させるが、「さきがけ」のリーダーが麻原なのではない。Book2までの青豆にこそ思考停止状態で死刑に相当する罪を犯した林泰男の姿がアナロジーとして透けて見える。さらにオウム・サリン事件の被害者にインタビューを行い「アンダーグラウンド」を著し、続いて加害者である信者側を取材して「約束された場所で」を記した村上春樹の、自身の正義感・善悪の観念が揺らいだ姿が重なりはしないか。でも、罪は裁かれなくてはならない。
Book3において青豆は生きていた。そして「新たな生命」を宿した。真実を追究していた牛川はタマルに殺された。この意味するところは、・・・・・書いてしまうと「NHKの集金人」が煩くドアを外から叩いてしまうことになる。
それでも、この「1Q84」という物語の「根っこ」が、フカエリの「空気さなぎ」と10歳の時に「天吾と青豆が手を握り合ったこと」にあることは記しておきたい。
「空気さなぎ」の中で少女が罰を受けることとなったのは「盲目の山羊」の世話を怠り死なせてしまったから。この「盲目の山羊」は、中原中也が「山羊の歌・盲目の秋」という詩に託した想いの象徴だ。
・・・・書きすぎてしまいました。もうこれ以上ドアを外から煩く叩くことはヤメにします。
- 感想投稿日 : 2014年1月17日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2014年1月17日
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