随分久しぶりにポール・オースターを読む。話の組み立て方が相変わらず凝っている。物事の中で物語が展開するお馴染みのパターン。しかもそれは単なる入れ子の構造ではなく、物語が進むにつれ輪郭が曖昧になり入れ子の中身が渾然一体となってゆく。さすがにオースターらしい。途中までわくわくとした気分で高揚しながら頁を繰っている自分を意識する。
しかし、途中から雰囲気が変わる。徐々に作中の人物に語らせる言葉に意図的な刺々しさを感じ始める。違和感が押し寄せる。剥き出しの感情、それも決して幸せな気分ではない。怒り。打ち降ろしようのない振り上げた拳。いらいらとした感情が登場人物の背後に蠢く。
どろどろとした感情を小説に持ち込まないで欲しいとか、ポール・オースターらしくないとか言って拒絶するつもりはない。しかし、この焦燥感と怒りの感情は双方向の遣り取りを生み出さない。一方的に言葉を発するものから受けとるものへ作用する。そして、それを受け止め損ねた読み手を置き去りにする。むしろその峻別を意図しているのか。そう勘ぐる程に言葉が鋭い。
もちろん、これまでのオースターの作品とてニューヨーカー的リベラリズムが基調となっていたし、政治的な色で言えば青を志向していることは明らかであったけれど、個人的な主張を読み手に迫るようなことはなかったと思う。恐らく違和感の元はそんなところにある。オースターが揶揄する人物が「お前の旗を見せろ!」と迫ったことと同じことを、主旨は違うとはいえ迫つている。その矛先の鋭さが、ことの良し悪し以前に拒む気持ちを駆り立てる。
中盤までの複線化した物語は、結局何処へも辿り着かない。それはオースターの小説によくある二疋の蛇が互いの尾を食らって徐々にその輪を小さくしていく展開と見えるのに。その先に待ち構える空白を巧みに描いて見せてくれるのがオースターの魅力であると思うのだが、この本の中に仕組まれた二重三重のからくりは、まるでメビウスの環のように思わず魅せられてしまう程であるのに、途中で打ち捨てられたままとなる。そんな消化不良も手伝って久しぶりのオースターにやや呆然とした気持ちになる。
作家自身の心の闇。9.11以降のニューヨーカーのPSTD。どうしてもそんなようなことを考えてしまうけれど、何かを力ずくで取り除こうとすれば、それは新たな心の闇を生む。為すべきことは、ひょっとしたら沈黙なのかも知れない。口を禁んでいれば、少なくとも誰かを傷つけることはない。消極的な自殺願望。そんな思いの狭間で、オースターは答えを保留する。その態度に唯一救いを見る。
- 感想投稿日 : 2014年7月17日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2014年7月17日
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