新解さんの謎

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  • 文藝春秋 (1996年7月1日発売)
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『よの なか②【世の中】①同時代に属する広域を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間』―『見えてきた新解像』

残念ながら新明解(新明国と略すのが公式らしいけど)を使う人ではなかったけれど、新解さんの謎が世間で耳目を集めていたのは知っていた。曰く、引くのではなくて読む辞書。そうは言うけれど今のように誰もがゲーム機やスマートフォンで遊んでいなかった頃、中学生くらいになって自意識が過剰になってくると、辞書の言葉の定義をあれこれ調べて遊ぶなんてことは案外と皆がやっていたもののような気がする。例えば「右・左」問題など、誰もが一度は確かめたのではないだろうか。中学・高校と使っていた岩波にはそんな遊びの痕跡が幾つか残っている。

「辞書は、引き写しの結果ではなく、用例蒐集と思索の産物でなければならぬ」と高らかに宣言するくらいなので、確かに新解さんには用例が多いし、右を調べてみたら「左の反対」などとはぐらかされることが無いように、多少踏み込み過ぎている位の言葉の説明がある。そこに編集者の個性が色濃く出ているので、本書の「新解さん」とはさしずめその編集主幹である山田忠雄のことということになるのだろう。大正5年(1916年)生まれの山田の言葉の根幹に迫る動機は学者としての情熱という真摯なものであるのだろうけれど、時代の中で編集者自身に染み付いている価値観までは拭い切れず、今、旧版の新明解を読むと彼方此方からクレームが入りそうな表現もある。バブル景気が崩壊し剣呑な雰囲気が世の中に漂い始めた頃、だが未だコンプライアンスだの自粛警察だのという言葉が人口に膾炙していない頃、千円札裁判や櫻画報など世の中の常識を疑う視点にこだわる赤瀬川原平が、当時既に怪しい雰囲気を醸し出していた新明解の語解釈を面白がる文章を書き記せたのも、振り返って見れば時代の要請ということであったのかも知れない。

もちろん、その赤瀬川に「新解さん」についての文章を書かせた「SM嬢」(あとがきには鈴木眞紀子氏と紹介されるがその後夏石鈴子名義で作家として活躍)が居たからこそ、という側面はある。この編集者の「面白がる」心意気が赤瀬川にも伝染しこの文章を書かせたのだ。と思うと、主幹編集者である山田の真摯な心意気には申し訳ないけれど、過度の真面目さは、やはり、滑稽さを生んでしまうものなんだなあ、との感慨に浸る他はない。

とは言え、やはり新明解の解釈の中には、どきりとさせられるような警句めいた文句もあって、それが新解さんの新解さん足る所以なのだろうと思いもするけれど。

『どく しょ①⓪【読書】―する〔研究調査のためや興味本位ではなく教養のために書物を読むこと。〔寝ころがって読んだり、雑誌・週刊誌を読むことは、本来の読書には含まれない〕』―『見えてきた新解像』

うーん、教養かあ。

後半の「紙」にまつわるあれこれのエッセイも面白いです。特に「札」⇔「お札」という一考には思いの外感心しました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2021年11月12日
読了日 : -
本棚登録日 : 2021年11月12日

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