アフォリズム、エッセー集。
小説を書きたい、エッセーなんか書きたくない、適当に埋め合わせようって気持ちが漏れ出てる書き方のものが多かった気がする。
今まで何作か太宰を読んできて思ったのは、太宰の文章は本当にうまくて好きで、話の内容自体としては私小説色が強いものより太宰の影があまり出てこないような創作された話のほうがどちらかというと好きだったってこと。
太宰の弱さや繊細さ、自分が大好きなくせに嫌いにもなったりするような部分はうまく作品に昇華されていれば好きなのだけど、こうやってエッセーで愚痴感覚で読むと結構きつかった。
俺はこんなにがんばってるのに世間がせめる。生きづらい。
世間はこんなものを良いというけど俺はそれはどうかと思う。こういうほうがいい。
周りはみんな馬鹿ばかりで付き合いきれない。
それじゃあ自分が大好きでしょうがないのかと思えば自分が嫌になる時もある。
これはみんな多かれ少なかれ結構思ったことがあることなんじゃないかと思う。
その部分に共感できるから、辛さがわかるから好きって人もいるんだと思う。
私はしんどかった。こう思ってしまう彼が嫌いなんじゃなくて、わからないんじゃなくて、抑えこもうとしてる私自身の嫌いな部分を直球で客観的に見させられてる感じがするからしんどかった。
この中では『織田君の死』『如是我聞』が好きかな。
如是我聞は噂にはきいてたけどほんとにボロクソに言ってるというかもう気に入らんものに片っ端から噛み付いたれって感じでもはや清々しい。
それは怒ってもしょうがないよねそれはおかしい言いたくなるよねって頷けるとこもあるけど、いや…それはほっといたれよ…そこは簡単に反論されそうだな…みたいなとこもあった。
それだけいろんなことに我慢ならなくて怒っててどうしても言いたかったんだろうなぁというのは伝わってきた。
みんな書かないであろうこの直球の訴えで変わったものも確かにあったのかもしれない。
- 感想投稿日 : 2018年7月1日
- 読了日 : 2018年7月1日
- 本棚登録日 : 2018年7月1日
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