風の歌を聴け (講談社文庫 む 6-1)

著者 :
  • 講談社 (1982年7月1日発売)
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1979年に発表された村上春樹のデビュー作である。
村上春樹は1949年生まれなので、本作品が発表されたのは村上春樹30歳の年である。実際にこれが村上春樹の初めて書いた小説、処女作のようであり、遅い歳に作家になった人だ。

小説の中で主人公の「僕」は、8年前の21歳の時、具体的には1970年8月8日から8月26日までに郷里の街で経験したことを、「自己療養へのささやかな試み」としてこの小説で描く。この小説は、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」という文章で始まっている。「僕」が書いている小説が「自己療養へのささやかな試み」を描く文章としては、完璧なものではないことを最初に断っていると同時に、逆に「完璧な絶望が存在しない」と言うことで、「自己療養」の方は、ある程度の成功を収めていることを暗示していると受け取った。

「僕」は、偶然、「左手の指が4本しかない女の子」と知り合う。何度目かに会った際に、彼女は「僕」に「明日から旅行するの。」と告げる。そして旅行から帰って来た彼女のアパートに泊まることになった際に、彼女から、不在が、実際には旅行ではなく、子供を堕ろす手術のためであったことを知らされ、「僕」は彼女のことを思いやる。それには理由があった。「僕」が帰省する数か月前に、つき合っていた「仏文科の女の子」が自殺をしてしまうのだ。
自殺の前年の秋に、「僕」は彼女と会話を交わす。
「ねぇ、私を愛している?」「もちろん」「結婚したい?」「今、すぐに?」「いつか・・・もっと先によ」「もちろん結婚したい」「でも私が訊ねるまでそんなこと一言だって言わなかったわ」「言い忘れていたんだ」「・・・子供は何人欲しい?」「3人」「男?女?」「女が2人に男が1人」彼女はコーヒーで口の中のパンを嚥み下してから僕の顔を見た。「嘘つき!」と彼女は言った。しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった。
彼女は、「僕」が彼女を愛していることを嘘と思い、「僕」は子供が欲しいと嘘をついた(ということなのだろうと私は解釈した)。いずれにしても、自分との関係が理由で(少なくとも理由の1つで)、「仏文科の女の子」は自殺してしまったと、「僕」は感じており、そのようなことがあったので、「左手の指が4本しかない女の子」を、とても気遣うのだ。
彼女の自殺という取り返しのつかないことを、9年後に、客観的に文章に(完璧かどうかは別にして)書けるようになったことを、「自己療養」のある程度の成功と感じているのだと私は解釈した。

小説の構成はもう少し複雑だ。友人の「鼠」やバーの店主の「ジェイ」やラジオのDJが小説には登場し、存在感を示している。彼らのセリフや行動の意図や、「僕」との関係性等、小説を構成している要素はまだまだ沢山ある。それらをどう解釈すれば良いのか、村上春樹がどのような意図で書いたのかについて全てを理解できている訳ではない、というか、よく分からないことが多い。
一番分からないのは、37節だ。DJが番組の中でリスナーからの手紙を読み上げる。リスナーである17歳の女性は脊椎の神経の病気で身動きが全く出来ない状態で病院に既に3年間入院している。彼女は「ベッドから起き上って港まで歩き、海の香りを胸いっぱいに吸い込めたら・・・」と毎朝想像している。その手紙を受け取ったDJは、彼女の病院があるかもしれない山側を見上げ涙が出てくる。そして、小説には、DJの言葉として、「僕は・君たちが・好きだ」と言いたいと感じることが書かれている。村上春樹の小説には、この部分が太字で記されている。「僕は・君たちが・好きだ」と思う場面は、この小説のテーマにも関わる大事な場面なのだと思うが、示され方が小説を読んでいる者(少なくとも私)には唐突な感じがする。文章はすっきりと、村上春樹の初期作品らしい軽快な文体で書いていて、とても読みやすいのであるが、読み解くのはそんなに簡単ではない小説、と感じた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年3月11日
読了日 : 2023年3月11日
本棚登録日 : 2023年3月10日

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