使いみちのない風景 (中公文庫 む 4-4)

著者 :
  • 中央公論新社 (1998年8月18日発売)
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村上春樹のエッセイ集。3編のエッセイが収載されている。「使いみちのない風景」「ギリシャの島の達人カフェ」「猫との旅」。素敵な写真付きのエッセイ集だ。

風景は2種類に分かれる、と筆者は書いている。
おそらく自分は、その風景を、何年か先に、ふと思い出すことになるんだろうなと予感する、そして、思い出したときには、例えば、「ああ、僕はあそこに三年間住んでたんだな。あそこはそのときの僕の生活があり、僕の人生の確実な一部があったんだな」と考えるような、そのような風景。自分の中にクロノロジカルに収められている、自分という人間の移動の軌跡としての風景。それが1種類。
もう1種類は、「使いみちのない風景」である。それは、まったく唐突に、ほとんど身勝手に、自分の前に姿を表す。そんなことを覚えていたことすら、自分には分からない、そのような風景だ。それは、どこにも連結していない。

といったようなことが、私の理解によれば、「使いみちのない風景」という題名のエッセイには書かれている。書かれていることの内容は感覚的には分かる。

例えば、私の「使いみちのない風景」はどういうものか。
15年以上前に、約1ヶ月間、ヨーロッパを貧乏旅行したことがある。イギリスの大学に留学をしていたのであるが、クリスマス休暇の時期に1ヶ月以上の休暇があることが分かり、行ったことのない場所(ヨーロッパの多くは行ったことがなかったのであるが)に行こうと出かけた。マンチェスター空港からマドリードまで飛び、マドリードに2-3泊した後、リスボンに行くことにした。マドリードからリスボンは、直行のバスが走っていて、記憶によれば7-8時間をかけてリスボンに到着。到着後、ホテルを探して歩き回り、何とか安いホテルを見つけ落ち着いたのは、もう夕食の時刻だった。疲れてもいたし、初めての土地で、1人でレストランを探して、入って、注文をしてというのが面倒だったので、スーパーに行って、パンや総菜を買って部屋で食べることにした。ホテルを出て散歩がてら、歩き始めたが、スーパーが見つからない。冬のリスボン、日の暮れるのも早く、自分がどこにいるのかも分からないまま、スーパーを探してホテル近辺を歩き回った時の、風景。こんなこと、今思い出すまで、考えたこともなかった。
それは、村上春樹言うところの「使いみちのない風景」ではあるだろうが、でも、当時の、初めての土地を歩くワクワクした気持ちと、知らない場所を歩く心細さと、冬の寒さを思い出した。その時の自分自身を思い出し、ある意味で、もう一度旅行気分を味わったという意味では、「使いみち」はあったと言うべきかも、とも思った。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2021年10月24日
読了日 : 2021年10月24日
本棚登録日 : 2021年10月23日

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