べつの言葉で (Crest books)

  • 新潮社 (2015年9月30日発売)
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本棚登録 : 823
感想 : 71
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アメリカで名を成した作家であるジュンパ・ラヒリが40を過ぎてから外国語であるイタリア語を選び取り、ローマへ移住した経験をイタリア語で綴ったエッセイ。

手に取ったとき「言葉に関する本なのに、表紙の女の子がジャンプしているのはどうしてだろう」と思っていたのだけど、読み終えた今、境界を飛び越える・新たな世界に踏み入って挑戦する、という意味を込めたかったのかなと思った。

エッセイを読み進めるほどに、文章が長く、語彙も多彩になり、ときおり物語も登場するので、著者の語学習得のスピードが肌で感じられて恐れ入る。

読んで二つのことを考えた。まず外国語を学ぶ楽しさ。次に言語とアイデンティティの関係について。

一つ目の、大人になってから学ぶ外国語について。著者の語学学習に取り組むときの情熱的な姿勢が色んな感情を呼び覚ました。新しい語彙(つまり新しい世界の切り取り方)を知る興奮。辞書を使いながらでも本を読み終えたあとの達成感。靄がかっていた世界が理解できるようになったときの晴れ晴れとした気持ち。

私も大人になってからタイ語を学んで、全く違う語彙の世界の前に立ちすくんだ記憶が蘇った。今まで習ったどんな言語とも語彙レベルでは似ても似つかなくて、単語を何回も声に出しながら書くという泥臭い作業をしてもなかなか覚えられず、途方に暮れていた。そんなある日、住んでいたコンドミニアムに帰ってきたときに警備のおじさんから話かけられた「今日は何をしてきたの?」が意味を伴って耳に飛び込んできたとき、霧がわぁと晴れるような感動を覚えた。それまでノイズ・雑音としか聞こえなかったタイ語が突然言葉として理解できるようになった瞬間が、忘れられない。
言語への愛に当てられてフランス語や英語の本が読みたくなった。(※フランス語や英語のメンテナンスもままなっていないのでタイ語は放置でもう忘却の彼方…涙)

著者はまた、自分の語学力は不完全だと認識することによる緊張感が、言葉について深く丁寧に考えることに繋がり、それは創造力を刺激するとも指摘する。私はこの境地に至ったことはないけど、初めてのことに取り組むときの真摯さって大事(=初心忘るべからず)ということを改めて感じた。

二つ目の、アイデンティティについて。著者は母語ベンガル語と継母語の英語が敵対関係にあって、それから逃れるためにイタリア語に自由を求めた、と説明をしていて驚きがあった。

おもえば、私は母語日本語とのどっしりとした安定的な関係を築いた上で海外に放り出されたので、言語的アイデンティティが揺らぐことなく、フランス語とも英語ともあくまで友好的に付き合えたのかもしれない。ここ数年でいろんな書物を通して「言語的アイデンティティに悩む」という事象を「発見」していたのは、私にとっては言語的アイデンティティは疑いようもなく安定していたからだったのだと、逆説的に理解できた。何事にも良い面・悪い面はあるけど、母語が確立するまでは焦って外国語に手を出さないという教育方針はアイデンティティの安定においては一定の意味がある気がした。(もちろんマルチリンガルな家庭もあるので、何が絶対正解というのはないけれど)

過去の投稿、タイ語について
『マリンのタイ語生活〈1〉挫折しないタイ文字レッスン (マリンのタイ語生活 1)』
https://booklog.jp/users/shokojalan/archives/1/4839601976

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ
感想投稿日 : 2022年8月14日
読了日 : 2022年8月13日
本棚登録日 : 2022年8月13日

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