頷けるところもあり、あまり新書を読まない自分としては、中々面白く読んだ。ただし、自分の研究テーマの結びつけることのできるような、アクチュアルな問題関心を掘り起こすという当初の目的に適ったかというと、少し微妙なところ。そもそも初版が2003年なので、約20年も前の本をして、現代の問題関心と接続できるかというと…まあ、これはこちらの問題で、本書の絶対的な価値を揺るがすものではないだろう。
18世紀末の大正教養主義から、現代の「キョウヨウ」、そして教養主義の没落に至るまでを、時系列ではなく様々な角度に沿って概観していく。主題となっている教養主義の没落に関しては、終章でのみ語られるため、全体的な印象としては、没落というより興亡について記述されているように思えた。
以下はメモとなる。西洋文化の導入として始まる大正教養主義、そしてその上位互換として位置づけられながら、知識の貯蓄なく振るえる棍棒、教養主義の鬼子としてマルクス主義が隆盛するが、戦時体制でその勢いが衰えると、再び教養主義が復活する。旧制高校において育まれたそれらは、戦後も新制大学において、岩波文庫などを文化装置に支えられながら隆盛し、60年代に最盛期を迎えたのだと筆者は主張する。しかし、60年代後半以後は大学卒業者の数が増え、「学卒」であっても(ただのサラリーマン予備軍として)明るい未来が保障されなくなると、全共闘運動などに象徴的なように、全世代の教養主義に対する反発的な傾向がたち現れるようになった。そして70年代以降の「中間大衆社会」という構造は、最早社会階級と内実の不一致(金があるのに学歴がない、学歴があるのに金がない)など、階級が希薄化することによって「階層的に構造が意識されない膨大な大衆」を生み出し、今や正統文化となった「サラリーマン文化」へ迎合するため、凡俗へ居直り、そこから逸脱しないようにすることが重視されるようになった。かくて、現代のキョウヨウは、一般的な枠組みから逸脱せず、そこへ適応するためだけの道具へと成り下がった。
時代を追って内容を咀嚼するために、上記のように自分の理解をまとめたが、他にも日本における文学部の、都市部富裕層というよりは相対的に農村部貧困層との親和性の高さ(そしてフランスとの対比)や、経済成長によりそうした差異が解消していったことが、農民的な勤勉さ、克己心の減退と結び付けられ、教養主義の衰退の一因を担っているという指摘など、面白く読んだ部分は少なくなかった。
- 感想投稿日 : 2021年10月22日
- 読了日 : 2021年10月21日
- 本棚登録日 : 2021年10月21日
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