すばらしき愚民社会 (新潮文庫 こ 39-1)

著者 :
  • 新潮社 (2007年1月1日発売)
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感想 : 30
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禁煙ファシズムの項をみつけ古本屋で買うも、その論自体はあまりすぐれたものとは言えなかった。

つまるところ禁煙ファシズムの肝は「受動喫煙」「間接喫煙」の害毒に関することであり、禁煙ファシズムを断罪するなら、そこをつくしか術はないはずである。

しかし小谷野は、ここではその害毒について掘り下げることを避け、「酒はいいのか」「クルマはいいのか」などと問題をすり替えていってしまう。あげくには、そんなに平坦に生きていてもつまらないでしょ、人間は危険やトラブルがないと退屈してしまう生き物だから、という微妙な人間本質論で終えている。このオチは以前読んだ『退屈論』から導かれたものだが、本書の文脈のなかではどうもクリティカルな言葉には聞こえない。

これでは小谷野らしくない。大衆や軟弱知識人にたいし、明確な根拠をもって批判するスタイルに、ぼくは好感をもっているのだけれど、これではただの愚痴や野次だ。「受動喫煙」「間接喫煙」がいかに肺がん発生へ影響を及ぼすのか。これに関するデータは、禁煙肯定論・否定論双方においておそらく、実証的になることが不可能なだけに、いくらでもあるはずである。これらの文献を列挙して、えっちらおっちら「これは信憑性がある」「これは疑わしい」と話を進めていくのが、小谷野のスタイルではなかったか。

この本は時事評論集という性格だから、論を深める気がそもそもなかっただけかもしれないが、あれだけ「禁煙ファシズム反対!」と掲げながらこの語り口では、いただけない。喫煙者として、共感しているだけに。実際、この章だけ浮いていたように感じれられた。

 *

ところで、第六章「他人を嘲笑したがる者たち」には、小谷野の善人的な立ち振る舞いが現れていて興味深い。言っていることはべつに大したことではなく、ようは「正論」がさも存在しないかのように振舞う、シニシズムへの嫌悪の表明である。ニューアカ以来の学者や、「2ちゃんねらー」的大衆が安易に走る相対主義への批判、と言い換えても大差はない。このとき小谷野は「笑われることを恐れるな」と、とても倫理的な言葉を、読者に向かって、吐いている。もともと倫理的な学者であることは理解っていたが、読者に対して「アドヴァイス」するような言葉で書く印象はなかった。これには面食らった。

「シニシストたちは、「笑われる」ことを恐れ、「負け」ないよう予防線を張り、己れの「世間知」を誇ろうとする」(134頁)

ぼくはシニシストやスノッブがだいっきらいである。小谷野は立派だナァと、思わずにはいられなかった。

読書状況:未設定 公開設定:公開
カテゴリ: えっせい/そのほかのほん
感想投稿日 : 2009年2月13日
本棚登録日 : 2009年2月13日

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