全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

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  • 新潮社 (1996年11月29日発売)
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感想 : 71
3

(*01)
エピグラフに柳田國男(*02)が掲げられ、全編を通じて柳田が提示した方言周圏論をアホバカ語により実証することを試みている。アホバカの多様な現れは痛快で、この多様をどのように掬っていったか、「探偵ナイトスクープ」という人気テレビ番組の方法論の展開として、プロセスそのものの読み物としても読み応えがある。

(*02)
しかし、柳田の「烏滸の文学」で示されたアホバカ同源説については直感のみが先行し、根拠が薄いということで一蹴されている。著者は、周圏的な分布から、アホが新しく、バカはより古いと仮定し、それぞれ大陸の典籍に語源があるのではないかと結論付けている。
残念に思われるのは、柳田がアホバカを受け入れる素地(*03)を議論していたのに対し、単に語としてのアホバカに拘泥したことで、多様な現れとその多様な連関については、あまり考察されてはいないことである。周圏論の伝播モデルについても古代や中世に遡れる語が果たして京から発信されたかは疑問が残る。文字として京で記録されたものは地方の習俗が採録され文化として地方に逆移入されるルートについても検討が必要かと思われる。
また、本書の前半部の考察を構成するハンカ、タクラダ、ホンジ、ホレモノ、アヤカリ、ホイトなど周囲に残る語についても他の類語との通じ方から検討する余地はまだ大きく残っているように思う。

(*03)
本書では差別語としてのアホバカとそれに連なる多様な語を「愚か」の方言や翻訳として扱っていた。オロカの語源についても問題があるが、現代ではアホバカの明るさや指導的な語感がともなわれることも考慮し、愚かにあたる語には差別的なニュアンスはなかったであろうと推察している。社会的な関係に多くを負う差別観から過去の語のニュアンスを探るのは同意できない。差別や罵倒が語が流行していた時代に、愚かな語がどのように機能していたかについて先行的な判断を導いてしまうからである。こうしたアホバカ語を纏っていた人たちがどのような人たちでどのように動いていたかは、語そのものよりも改めて考えてみなければならない問題でもある。例えば、ホイトと呼ばれる人たちであるとか、アヤを刻印された人たちであるとか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: archive
感想投稿日 : 2016年4月29日
読了日 : 2016年4月24日
本棚登録日 : 2015年12月2日

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