「日本」という国号、国の名前がいつ定まり、天皇という王の名がいつ公的に決まったか。689年の飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)とされ、異なるにしても前後100年くらいである。それ以前には日本も日本人も存在していなかったのだ。なのに神武天皇の即位の日というまったく架空の日を建国記念日として、日の丸、君が代を国旗国歌に制定してしまった。日本は建国当初から帝国主義的な野心を持っており、その後100~200年続いたことが現在でも影響しているのは間違いない。とうぜん弥生人や縄文人は日本人ではない。
今までの歴史は進歩史観でしか語られて来なかった。進歩史観に登場するのは成人の男性だけで、老人や女性子どもは出てこないが、実は多くの女性が産業や商業をになっていたのである。養蚕や機織り、薪を売るのは女性であった。また江戸時代までの農民の割合が9割で、百姓=農民という常識は誤りである。もともとは天皇以外は百姓(ひゃくせい)で、百姓=農民となってから百姓(ひゃくしょう)と呼ばれるようになったと言われてきたが、それも誤りである。日本人と呼ばれる前から海を渡って周りの国と交易し、漁業、林業などで巨富を得るものが多くいたし、専門性の高い職能集団も多かった。明治政府の都合で百姓は農民と言い換えられたが、農業以外にも多様な生き方をしていたのだ。それは年貢の取り立ての多様さをみてもわかる。また各時代で自給自足の生活があったというのも妄想で、縄文時代から交易、交流が盛んだったことが遺跡の発掘からわかってきている。
日本人は単一民族というのは誤りである。大和とは関西のことであり、関東や東北は東夷、蝦夷、熊襲(くまそ)、隼人など、未開な異種の住む地域とされていた。だが鎌倉や江戸は幕府ができる前から海の交通の要衝として発展しており、頼朝や家康は故あってそこに幕府を開いたのである。関東や東北、九州は大和とは異なる文化を持ち、異なる生き方をしていたのだ。中でも特に印象的なのが被差別部落である。これは良い悪いではなく、関西以外にはほとんど存在していなかった。その背景には穢れに対する意識の違いがある。
- 感想投稿日 : 2019年8月17日
- 本棚登録日 : 2019年8月16日
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