オンラインゲームに嵌まっている著者が、仮想世界のビジネスモデルについて語る1冊。
オンラインゲームにおけるネガティブ要素を廃して、経済活動のみ特価しているため、シンプルで読みやすく面白かった。
物販モデル。
従来の実際の物を購入するビジネスモデル。
消費者は、手持ちのお金だけで、より良いものを手に入れようとする。
(品質がよい、値頃感のある、など)
ダウンロードモデルも同様。
このあたりは、商品を購入するまえの「期待感」でものを購入する。
(CMで期待させるシーンを見せたり、シリーズで「前回の感動をもう一度」のように、過去の経験から期待させるなど)
それらに対して、仮想世界のビジネスモデル、オンラインゲームやサービなどでお金を得るサービスモデル
(例えば月額X円のゲームや、無料で参加できるが、一部アイテムにお金のかかるゲーム。
オークションに参加するのは無料だが、落札時に課金されるなどのサービス。
ニコニコ動画やmixiなどの有料ユーザーもあるコミュニティサイトなど)は
、「継続する満足感」に対してお金が支払われる。
単純に言えば、長く使ってもらうことが収益に繋がるのである。
では、どうすれば長く使って貰えるか。
面白い体験が出来るから?
アイテム収集・レベルアップが楽しいから?
みんなとワイワイできるから?
この本では、アンケートにより、最後の「みんなでワイワイできるから」が長く使ってもらえる最大の要因だと分析している。
みんなと一緒だから続ける。
求めているのは、ゲームでの楽しみというより、「居場所」である、と。
居場所って何?
仮想世界上でのもうひとりの自分。
リアル世界の人格ではなく、ネット上の人格。
自分の中の大切な一部。本当の自分。
(ネット上に、いつもの自分とは異なるネット人格があるという考えは多いそうな)
このあたり、非常に納得した。
コミュニティに居場所を求める人は、ゲームに対してお金を支払う。
それはコミュニティ内で特別な地位を求める(レアアイテムを持っているから凄い、格好いい)とか、
購入したアイテムを送って喜ばれたりすると嬉しいし、
仲間を誘って増やそうとしたりする。
コミュニティに利便性を求める人は、
必要とする機能が満たされればよいと考え、
居場所には固執せず、サービスを簡単に乗り換える。
(例えとして、よく使うサイトでも、「お気に入り」に入れず、都度検索するとあった。確かに)
ただ、気になる。
小学生がネットで同じモンスターを倒す単調な作業を繰り返すのを見て、著者が「算数のドリルやったほうがい楽しいのではないか」と問い掛け、「単調でつまらない作業だけど、それでも結果がすぐ目に見えてわかるのが良い」と返す。著者は、「ドリルをやったから成績が必ず上がる訳じゃない。幸せになる確証はない。複雑さを削減させた仮想世界は、人をやる気にさせるようだ」と書いている。
以下は本に書かれていることではなく、読んで感じたこと。
これに書かれていることが真実で、企業が利益を得るために、もっと人をとどめようとすると、それは、とても恐ろしいことじゃないだろうか?
現実が辛くて、簡単に楽しいことがあれば、そちらに流れる。
それが加速して、ネット上に居場所があればいいと満足し、ネット上の自分が大切だと感じることは、恐ろしいことなんじゃないだろうか。
ビジネスモデルとして、企業がそれをするのは当然なんだけど。
上にも書いたけれど、ネット人格は本当の自分である、と思う。
けれど、現実の自分も同じように本当の事自分だと思う。
うまくいかないことも辛いことも何もかもひっくるめて、自分なんだろうと。
ネット人格を大切にしても、それは「都合のいいところだけを集めた自分」ではないのかな。
何か起きても、IDを変えれば、いつでもリセットすることが可能だ。
そしてネット上には、現実とはちがって単純に分かりやすい結果が待っている。
サービスを提供する企業は、心地よい居場所を提供しようとする。
都合のよい、居心地のよい場所。
辛いなら、いつでも辞められる(これは現実でも同じだけど、現実にはどうしたって肉体がある)。
はまったら現実に戻らなくならないか?
私、仮想現実にはまったら、現実に戻れる自信ない。
あと、居場所を求めるユーザーと、利便性を求めるユーザーで、サービスに対する意識の違いがある。
それに気づいたことは大きい。
ネットすごい。そして怖い。
このままいくと、短絡的になりそうだなと思うけど、小説やマンガ、テレビが出はじめたころにも、「こんなものが流行ったら大変だ」みたいな話が出たんだろうなぁ。
- 感想投稿日 : 2010年1月6日
- 読了日 : 2010年1月6日
- 本棚登録日 : 2010年1月6日
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