今まで"ミステリーの類"を好んで読まなかった、と言うのは
人が、謎解きの為の道具でしかない様な気がしていたから。
核となる(推理)の為に、人が人を殺したり、
トリックの辻褄を合わせるために若干苦しいストーリー展開となったり。
(それでも読者は暗黙の了解)
当然のごとく、
(あやつり人形)に心を重ねることは出来ない。
推理小説の正しい読み方を知らない私は、そんなわけでこのジャンルの類とは疎遠になっていた、わけであるが…。
東野ミステリーを読んでからは、あっという間にそんな思いが消えた。
なぜなら
彼の小説のなかでの登場人物は皆、魂をもっていたからだ。
この忘れっぽい私が、
あのシーンでのあの言葉を、何度も何度も思い出してしまう。
思い出しては、胸に熱いものが込み上げ、
(読んでよかった!)というよりは
(出会えてよかった!)
そう思えてしまう不思議な感情。
私の生きた鼓動に、もはや架空の人物などではない彼らが、関わりを持とう、としている意志さえ感じられたのだ。
ふらふらと胸にナイフが突き刺さったまま、歩き続けていた男が、ついに翼のある麒麟の像の前で力尽きた。
犯人と見られる男は警察からの職務質問を受けている最中に逃げ出した所、運悪くやってきた車にひかれて、死亡。
二人には関わりがあり、
犯人には動機も、又被害者にも恨みをかうだけの理由もあった。
と、いう事で事件は無事解決…したかの様に思われていたのだが。
被害者、犯人、双方死亡。死人に口なし、と言う状況で、
これまで彼らと共に生きてきた家族は、
どこまで
『完璧で隙もなく、閉じられようとしている一事件のファイル』に
(誤)を見出すことが出来るのか?
(誤)を見出すと言うことは、どこまで家族を信頼してきたか?と言う事だ。
加賀、松宮、頼りになる両刑事と共に、
普段どれほど家族と心通い合わせているか?
家族が何を思い、何を考えて行動してきたか?
を、推理とともに、深く慮った時間が、とても貴重に思えてならなかった。
- 感想投稿日 : 2013年3月11日
- 読了日 : 2013年3月11日
- 本棚登録日 : 2013年3月11日
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