罪と罰〈下〉 (新潮文庫)

  • 新潮社 (1987年6月9日発売)
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2015.10.18不安と恐怖に駆られ、良心の呵責に耐えきれぬラスコーリニコフは、偶然知り合った娼婦ソーニャの自己犠牲に徹した生き方に打たれ、ついに自らを法の手にゆだねる。ーーロシヤ思想史にインテリゲンチャの出現が特筆された1860年代、急激な価値転換が行われる中での青年層の思想の昏迷を予言し、強烈な人間回復への願望を訴えたヒューマニズムの書として不滅の価値に輝く作品である。(裏表紙より引用)

解説にある通り、これはいろんな要素を持つ作品であり、推理小説的な要素、社会風俗画的な要素、愛の小説的な要素、そして思想小説的な要素と、実に多くの顔を持つ。しかしその根っこはやはり、ラスコーリニコフの理論と実践、その結果だろう。凡人・非凡人論を掲げ、ルールに服従する保守的なバカな凡人の中で、少数の優秀な、ルールを破壊し新たにルールを作る、故にルールに縛られない、ナポレオン的非凡人がいる。そしてその革命のための罪なら、つまり百の善行のための一の悪行なら許される、という理論を実行し、しかし彼は良心の呵責に苛まれて続ける。彼は凡人だったのだ。これはただ単なる罪人の物語ではなく、若さ故にまだアイデンティティを固め切らず、理想と虚栄と自尊心が高くなっている、そういう若者にも通じる物語ではないか。そういう一つの、青春の危機とも言えるものを描いているのではないか。若い内は何かと、絶対的な、揺るぎないものを求めがちである。社会は、世界は、人間はいかにあるべきか、その答えが見つからないことに、異常なまでの苦しみを覚えることがある。しかしそんなもの、まだ世界を味わいつくしてもいない若者が、頭の中で考えたところで見つかるはずもない。なんとか組み立てた思想も、歪で、執着的で、何か狂ったものになりがちである。普通ならその違和感に気づくが、青年は気がつかない、一つは理論上は、論理的には間違っていないから、もうひとつはそれにしがみつくことが自分のアイデンティティの保障になるからである。自分というものが不安定で、自尊心が高い故に現在の自分を認められない、自信のないそんな若者が、頭でっかちに理論を組み上げた結果が、この物語ではないか。しかしそんな若者に必要だったのはまさに、空気だった。つまり、当たり前に息を吸い、吐いて、生活すること、頭の中の理論に囚われるのでなく、この感じている現実を現実として受け止め生きることである。理想の中に逃げるのでなく、現実を歩くことである。現在の自分を認めようとせず、頭の中に理想と理論を構築することは、アイデンティティの迷いでもあり、そして弱い自分からの逃避でもある。現実を無視したその実行は破滅へと向かうものである。しかしどこかで、その理論に支えられた自分が挫折し、理想の中で生きている自分が死に、現実を受け入れることができるようになり、これが俺なのだと自分をありのままに認めることができれば、そこからまた新たな一歩が始まるのではないか。ラスコーリニコフは、かつての私だった。故にこの作品でまた少し、過去に対する整理というか、なぜあんなことをしてしまったのかという事に対するひとつの解釈ができて、個人的には戒めというか、またひとつ自分を、人間を知れたなと思った。青年期の自我の不安定さからの逃避として組み上げた、人間の本性や自分の現実を棚上げしたひとつの理論の実行が生み出した罪悪と苦悩の物語のように思えた。再び解説にある通り、この作品は"人間の本性を忘れた理性だけによる改革が人間を破滅させることを説いた"ものである。自分を認められない頭でっかち君の、生活から離れた理性による破滅的末路がここにある。真実は、救いは、頭の中ではなく生活の中にある。理想を掲げた社会主義がうまくいかなかったように、人間には人間の本性がある、あるべきようになれない人間の本性がある。そこを無理に無視してうまくいくことなどないのだ。個人も同じで、あなたにはあなたにできることとできないことがあって、いくらあるべきあなたの姿を思い浮かべても無理して現実の自分を無視しては何もうまくいかない。seinとsollenは違う。個人にしても社会にしても、理想は、しっかり把握された現実本性の上に立たねばならないと思った。罪の心理的構造、自我不安定と環境的苦痛の逃げ場として生み出された、我欲を覆う理性的理論、本性の上にあるべき理想など、学ぶことの多い作品だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年10月18日
読了日 : 2015年10月18日
本棚登録日 : 2015年10月15日

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