三原順さんの書籍類で手に入れられなかったものはいろいろあるのですが、そのうちのひとつが『三原順のトランプランド』です。書籍の形で販売されていたものに比べると、自分の物欲も低くてスルーしてしまっていたのですが、このたびの「三原順の空想と絵本展」開催に合わせて作成された絵本がやはりどうしても欲しくなり、ムーンライティング様の BOOTH にて通信販売で入手しました。

 ルーとソロモンの合わせ技の物語ですが、GASM 四者四様のミニストーリーが実に四人らしく、しかも、わたしなどの想像を軽く超える物語の妙に、あらためて三原さんの物語世界の広がりが感じられて、嘆息することになりました。それぞれのイラストも見事に色鮮やかで、本当に見入ります。こんな形で見ることができるようになるとは、夢にも思っていませんでした。作成されたムーンライティングのお二人に、心から感謝申しあげます。

 ニコニコと笑いながら、ほんのりとさみしくなる四つのエピソードのうち、いちばん笑ったのはアンジー編でした。そりゃ、アンジーはそこは他人に任せられないですよね! いやもうお見事の素晴らしいラストのいでたちでした。

 ひいきのグレアムのエピソードは、今に投げかけられる厳しさをもつ言葉でエンディングでした。グレアムらしいと思い。そして、いま自分はどう考える? と自らを振り返ったりも。

2024年4月23日

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読書状況 読み終わった [2024年4月23日]
カテゴリ 絵本

昭和 60 年刊行の本であり、良くも悪くも時代を感じる。今では感覚的に合わなくなったことも、考え方自体がずれてきたことも、時代がさらに進んで先鋭化したものもあるように思う。自分的にもっとも違和感があったのは、プライバシーと家族の関係。ここで言われる「バランスの良さ」は、不要な我慢を強いられる歪なものでもあった可能性も大きかったのではないかと思う。例に挙げられている作品群については、再読してみたいと思った。

2024年4月22日

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読書状況 読み終わった [2024年4月22日]
カテゴリ 社会

 ムーンライティング様で通信販売を利用した際に送られてきたフリーペーパーに、まとめて目を通しました。本号には札幌で開催された「三原順の世界展」の終了報告が掲載されており、行きたかったなぁと、やはり思ってしまいました。

 同展「札幌の部屋」コーナーに展示された、三原順さんの遺品である木村泰子さんの絵本も 3 冊紹介されていました。とても面白そう! 読んでみたいなと思い、普段利用している図書館で検索してみたのですが、蔵書がないようで、残念でした。機会があれば、またいつかどこかでと思います。

2024年4月19日

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読書状況 読み終わった [2024年4月19日]
カテゴリ フリーペーパー

引き続き、松岡永子さんの絵はがき型超短編。こちらはタイポグラフィ。はがき大の用紙の四隅と、真ん中の上中下にテキストがあり、対角線上のテキストはそれぞれ対になっていて、言葉が裏返しになっています。文字と言葉のもつ広がりが綺麗に四角のなかにおさまっていて、テキストの内容はしんみりした印象なのですが、目で見て楽しい作品でした。

2024年4月18日

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読書状況 読み終わった [2024年4月18日]
カテゴリ 小説

 松岡永子さんの絵はがき型超短編。文学フリマで購入しました。作品の背景には黄昏の写真。綺麗です。

 ただ大変残念なことに、自分には文字の背景に画像が入っている作品はたいそう読みづらいのでした。強度近視と乱視の乱舞で焦点が合いづらく、たぶん人よりかなり余計に見づらいのではないかと思うのですが。画像に意識がとられて作品として味わえず、解読までしか進めないのが少々つらい。

 画像作品として楽しむのがいいのかなと思いつつ、でも隠されている(自分にとっては「隠されている」のと同義)テキスト部分の物語が気になって仕方がない。時折取り出しては文字の断片を追い、一枚の紙の内側に作品世界を探し求める。そんな楽しみ方をしています。

2024年4月18日

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読書状況 読み終わった [2024年4月18日]
カテゴリ 小説

なんとなく、自分が昔読んだのは子ども向けにアレンジされた縮小話で、実際にはもう少し長い話だったのではと思い込んでいたのだが、そんなことは全然なかった。Kindle 版も honto 版も見当たらなかったので、web で読了。最後ののんびりした極楽の風景が、犍陀多のいる地獄における殺伐さと対比されて、なんともいえない気持ちになる。

2024年4月17日

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読書状況 読み終わった [2024年4月17日]
カテゴリ 小説

自分がライブでバルトークのピアノ協奏曲 2 番を聴ける機会はもうそうそうないのではないかと思い、ちょうどいくぶん空き時間ができたこともあり、思い立って京都コンサートホールに行ってきました。結果、めっちゃくちゃよかったっ! いろいろと余裕がなくてかなり後方の席になったんだけど、お金を惜しむんじゃなかったと後悔してしまった。協奏曲はソロとオケとの対話だなぁと、あらためてめっちゃくちゃ思った。全方向から多量の音が飛び出てきたり溶け合ったりしながら綺麗に絡み合って流れていく。バウゼのピアノすごい。うっとりする。それに絡んでいくオケもすごく素敵でした。パーカッションとの絡みが殊に好きだった。自分の絵的なピアノ協奏曲の原風景は、くらもちふさこさんの『いつもポケットにショパン』なのだけど(あれはラフマニノフ)、あーちゃんの気持ちが心底わかるとあらためて。曲が終わってしまうのがもったいなくて、もっと聴き続けたいと思ってしまった。アンコール曲の「喜びの島」がまたとてつもなく好きでした。音がきらきらしてるよぅ。物理的な容量の問題で、よほどのことがない限り CD を購入するのはもうやめようと思っていたのだけど、どうしてもサインをいただきたくて、シューマンの大ソナタ収録の品を買いました。久しぶりすぎてめっちゃどきどきした。でもサインは結局前方の方に倣ってプログラムの方にいただきました。幸せすぎた。良い休日でした。完全な素人メモですけど、浮かれた気分で残しておきます。

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カテゴリ 演奏会

年末恒例のきさら堂での平野雄一さんの詩の展示。昨年末に行ってきました。きさら堂で文字を主体にした展覧会は他にもあるのですが、開催が毎年年末なのもあって、拝見するたびに年が変わるなと思い、気持ちを新たにさせられ、自分にとっては特別な展示になっています。今回はなんとなくほっこりする気持ちで拝見しました。短歌が多めで、さらりと眺めるというよりは、じっくりと文字を解きほぐす感じで展示を見つめていた時間が長かったように思います。例のごとく冊子が販売されていたので、購入してきました。明るい白のイメージの強い冊子です。思い立ったときにまた読み返そうと思います。一期一会の作品を手元に置けるというのはとても贅沢な楽しみで、ありがたいです。

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カテゴリ 展覧会

久しぶりの新刊。「シン・お笑い大惨寺」での超短編作品募集に際して作成されて再始動されたようです(たぶん)。超短編作品の目次は下記のとおり。なんとなくもの悲しい話が多くて、タカスギさんの「写真で超短編:木のネッコ」にたどり着いたとき、少しくほっとしてしまった。海音寺さんの「京都南工業団地」は最終話で、なんとなく希望が見えるようにも思えるエンディング。はやみさんの「出会うまで」は「越後妻有アートトリエンナーレ 2018 に寄せて」という注がついていて、なるほど一緒に遠くから歩いて行くのです。

タキガワ「果てへの旅(十) 昨夜の夢」
小野塚力「岡田三郎とコント」(二)
たなかなつみ「冷たい眠り」
はやみかつとし「出会うまで」
海音寺ジョー「京都南工業団地」最終話
タカスギシンタロ「写真で超短編:木のネッコ」

おそらく執筆者の手元にそれぞれ配布用のペーパーが届いていて、各地で頒布されることと思います。わたしの手元にも届いたので、これからせっせと撒いていきます。お目見えする日を楽しみにお待ちいただけたら嬉しいです。

2024年3月5日

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読書状況 読み終わった [2024年3月5日]
カテゴリ フリーペーパー

あらためて Kindle 版で読んでみた。大体覚えていたけれども、忘れていた部分もあって。あらためて文字で見てびっくりしたのが、一日四合の玄米という部分。かなりの量ではないかと思うのだけど。昔の日本人は今とは比べものにならない量の米を食べていたという話を以前読んだのだけど(その分おかずの量は少なかったらしい。漬物だけだったりとか)、こういうところでそういった事実に出会ったりするものなのだなと思った。

それにしても。この境地に至ることはなかなかないのだろうと思う。人はいくつになっても私欲と他者からの評価に惑わされるものだと思うので。なれないからこそ、なりたいと思うものなのだろうと。

最後に並んでいるのはお題目か。ここまでは知らなかった。生きる隣に信仰のある生活というもの。

2024年3月4日

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読書状況 読み終わった [2024年3月4日]
カテゴリ 文学

[第 5 章まで]

高畠文夫訳なので、おそらく角川文庫 1971 年版。すぐに手元で読める電子版を探して行き着いた。訳文自体はさすがに読みづらい。訳語もおそらく現在であればこういう語の使われ方はされないだろうというもの。けれども、話の内容自体が、遠い昔に分岐した世界のものだと思うと、こういう言葉遣いもあるのかもと思えてしまうところがあるのが皮肉。

冒頭は物語の背景説明のようなもの。ここがめっぽう面白く、また、考えさせられるところ。一読して、何というディストピア世界、と思いはするのだけど、そのところどころに現在世界と通底している部分があり、自身の今の価値観を揺さぶってくる。同時に、自身がすでに若くはなく、年を重ねる途上で世間的にも自身においても倫理観が大きく変化してきたことも知っているので、今の自分の忌避感や受容性の変化はどういう経路をたどってきたものなのか、数年遡ればすでに異なる価値観でこの話を読んでいたのではないかということを、ずっと考えさせられている。同時に、実現してはおらず、実現させてはならないということは知っていながら、何らかの排除や統制へと傾いてしまう心理が今現在もそこかしこに強く存在することが透けて見え、何をもって「正しい」とするのかについて、あらためて深く考え込んでしまう。「正しさ」のあやふやさについて、昨今は考えることが多く、そのことをあらためて知らしめられた印象が強い。完全なディストピアものとして、自身とはまったく異なる世界の話として楽しめればよいと思えていた時期も確かにあるのに、今は、こういった世界を現実にユートピアと考えてしまう層はどうしても存在するのだろうと背筋が冷たくなる感覚が拭えない。同時に、自身にも問われる。いま自分が何かを判断する際にもっているものさしは、どの面から見て正しく、どの面から見ると正しくないのか。反射的に「正しさ」にたどり着けるのは、ほんのわずかの期間、わずかのエピソードに過ぎないのではないかと。

アルファをスーパーとするフィクションのありようは、今現在だとオメガバースという設定を彷彿とさせる。オメガバースはそもそもの成り立ちとしては身分格差を強く押し出す設定ではなかったのかもしれないけれども(スラッシュに詳しくないので詳細には知らない)、実際に自分が目にする話としては、生まれながらの能力差でもって分類され、片や持ち上げられ、片や虐げられる、という背景の作品がどうしても多い。そういった格差を押し出す話づくりが一定の人気を得てしまう現在において、フィクションにおける人の世のありようがどういう受け止められ方をしがちなのかについても、考えさせられるところがある。

単一エピソードとしては、睡眠学習が懐かしかった。そういえば昔睡眠学習機器販売の広告が子ども向け雑誌の裏表紙に掲載されていて、その効能がまことしやかにうたわれていたことなどを思い出したりした。今ならありえない話。けれども、大きく忌避されることなく実際にあった話。

妊娠に関する体調の変化をある種性的なものとして捉えるか否かというあたりも、ちょうど日常で触れたばかりだったので、個人的にタイムリーなエピソードだった。エロティックなものとして受け取るか否かという話ではまったくなく、その折の体調の変化について他者が語ることを忌避すべきかどうかという視点だった。自分にはまったくない感覚だったので、人による受取方の差異の大きさを大いに感じたところ。月経の話も含めて、忌避すべきと思うこと自体に違和感のある世の中に早くなればよいと自分は思っているのだけど(隠されるべきものではないということ)、個人に属する話であれば人は口をつぐむべきだというのも納得する部分がある。どの位置にスライダーをおくかについては、個人によってずれ方がかなり異なるよ...

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読書状況 いま読んでる
カテゴリ 翻訳小説

主人公は都市である。人物も登場するが、それは要素に過ぎず、描かれているのはあくまでも数かずの都市である。それぞれ超短編と言える長さの物語が提示され、それぞれ概念図がついている。この図については途中まで気づかず、単に章を表すだけの記号だと思い込んでいたのが、途中で章ごとに図柄が異なることに気づき、慌ててページを繰って戻り、確かめたという…… それぞれの都市が抱える物語は、空想的で幻想的なありえないおとぎ話に思えるが、それぞれの都市にはモデルとなった現実あるいは過去に存在した都市がある。もちろん、現存した都市そのままの物語ではなく、そのままではないゆえにこそ、それぞれの物語のもつ意味は大きいとも言える。とかいう、そんなうんちくなどどうでもいいぐらいにただ、読んでいて楽しかった! のでした。一遍一遍じっくり少しずつ読み進め、最後の物語が途切れたあとも、この作品の数奇な運命を語るあとがきの数かずを読み、考え込んでしまうまでが本書の醍醐味だと思う。不完全なニンゲンが何を選択して残すべきなのかを断定できるわけもなく。であるならば、私たちにできることは、存在することすら知らないまま読むのを待ち続けている人たちのために、すべての物語に居場所を、と。いま出会うことができて幸せな作品でした。

2024年1月17日

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読書状況 読み終わった [2024年1月17日]
カテゴリ 翻訳小説

元もとリアルタイムで連載を追って読んでいた話ではなく、単行本で読み始めたのも続編が出なくなって以降のことなのだが、現時点での最終巻まで読み終えたときにいちばん最初に思ったことはやっぱり、えらいところで止まってしまった! という、どうしようもなさだった。自分にとっては、たくさん出てくる登場人物たちの誰かに感情移入できる話ではなく、のめり込み方としては中ぐらいだと思うけれども、それでも、作中時間の経過とともに混乱が増していくかれらの先に少しでも明るい未来が待っているようにと願いながら読み続けていたわけで。それが……! という。どうしようもなくなっていく展開の話をじりじりしながら読み続けていたのは、合間に挟み込まれてくる奈々のナレーションの続きを知りたい気持ちが大きかったのだけど。それが。ここで止まるのかー! という。単行本未収録分がまだ数話あるらしいとも耳にしたのだけど、結局今巻の先は読まずじまいで、まだじりじりと待ち続けています。作者の方の困難による、ここで止まるのかー! という経験は、これが初めてではなく、よりによってここでかー! という経験も、もちろん繰り返されてはきたわけだけど、そのなかでも群を抜く、よりのよってここでかー! という話であり続けているように思う。今となってはもう、リアルタイムで燃え上がっていた読者の方がたも年齢を重ね、連載当時の悲痛さと熱情で続きを待ち望んでいる人たちの数も減ってはいるのかもしれないと思いつつ、続きが読めるのであれば、この先の話を知りたいと思いながら、やはり再読しては打ちのめされるを繰り返しているのでした。なんとなくこちらにも長い間、途中巻までしか登録できなかったのだけれども、旧デバイスの故障とともに Sync しきれずにブックマークがいろいろ飛んでしまったのを機に、ここにメモをアップロードすることで、自分的にひとつ区切りをつけることにした。このあとも多分待つと思う。でもそれよりも何よりも、矢沢さんの平穏をいちばんに願っております。

2024年1月6日

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読書状況 読み終わった [2024年1月6日]
カテゴリ 漫画
読書状況 読み終わった [2024年1月6日]
カテゴリ 漫画
読書状況 読み終わった [2024年1月6日]
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