井伏鱒二全詩集 (岩波文庫 緑 77-4)

著者 :
  • 岩波書店 (2004年7月16日発売)
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4

「勧酒」  于武陵

 勧 君 金 屈 巵
 満 酌 不 須 辞
 花 発 多 風 雨
 人 生 足 別 離

 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

井伏鱒二の漢詩訳でいちばん有名なのが「勧酒」だろう。わたしはこの訳詩がとても好きだ。
人生の儚さ、哀愁が漂っている。
だからといって哀しそうにも思えない。

「ハナニアラシ(花に嵐)」には、良いことには邪魔が入るものだとの意味がある。
そのようなことがこれから起きようとも、今、この酒を酌み交わす時間を生きよう……。
悔いや、諦め、憤り、虚しさは心のうちに燻っているけれども、そのこと全てをも含めて、今ある事実をあるがままに受け入れよう。
清々しいほどの充足感で満たされているようにさえ思う。

「サヨナラ」ダケガ人生ダ
この「サヨナラ」に、以前読んだ『翼よ、北に』の「サヨナラ」についての文章を思わずにはいられない。
そこには「サヨナラ」を文字どおり訳すと、「そうならなければならないなら」という意味があると綴られていた。
         
そうならなければならないなら。
言葉にしない「サヨナラ」が、井伏鱒二の訳す「サヨナラ」にも通じるように思う。
心をこめて手を握る。その手の温もりの代わりに、なみなみと酒をつぐ。
「サヨナラ」の言葉に人生の理解のすべてがこもっている。

ただ、この「勧酒」など『厄除け詩集』の「訳詩」には粉本があった。石見国の潜魚庵という人物が唐詩選を俗謡調に和訳したものである。
たとえば潜魚庵の「勧酒」の訳詩はこうだ。

サラバ上ゲマショ此盃ヲ
トクト御請ケヨ御辞儀無用
花の盛リモ風雨ゴザル
人ノ別レモコノ心ロ

漢詩は勉強不足なので直感的なものなんだけれど、潜魚庵の訳詩は原詩に出来る限り忠実であるように訳した気がする。
潜魚庵の訳詩を知ると、井伏訳はもっとおおらかで生き生きしているようだ。わたしにとって井伏訳の「勧酒」は、情景が鮮やかに浮かびあがり、感情がぶわぁと溢れてくる。
井伏鱒二だからこそ誕生した訳であり、井伏鱒二の「勧酒」だといってもいいのじゃないかなぁ。

また井伏鱒二の詩にはなんだか面白いものも多い。ユーモアのある井伏鱒二の性格を表しているような、クスッと笑えるものがけっこう好きだ。

「誤診」

医者が僕のレントゲン写真を出して
「心臓肥大です、要注意ですな」と云った

僕は尋常一年のとき運動会で駆けつこに出た
すると「用意、どん……」の直前
不意に胸がごつんごつんと鳴りだした
これが僕の記憶する最初の胸の高鳴りだ

最近は胸のときめきを感じることがなくなつた
原稿書いてゐて胸がふと動悸を摶ちだすことなど更らにない
僕の感動の最後助(さいごのすけ)だと思はれるのは
京竿で一尺山女魚を釣つたときのものである

僕の心臓は干涸らびてしまつてゐる筈だ
心臓肥大とは誤診だと思ひたい
           『厄除け詩集』より

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本:詩集・短歌・俳句
感想投稿日 : 2022年1月19日
読了日 : 2022年1月19日
本棚登録日 : 2022年1月19日

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コメント 4件

いるかさんのコメント
2022/01/19

地球っこさん こんにちは。。

教科書でしか知らなかった井伏鱒二さん。
なんとなく好きでしたが、地球っこさんのレビューををみて、もっと深く知りたいとおもいました。
地球っこさんのペースについていけず、積読が増えていますが、その分読むのが楽しみです。
ゆっくり読書を楽しみたいと思います。
いつもありがとうございます。

地球っこさんのコメント
2022/01/19

いるかさん、こんばんは♪

なんとなく好きってわかりますよ。
わたしも井伏鱒二さんて、なんとなく写真の雰囲気が好きなんです~
小説は「山椒魚」しか読んだことないんですけど……えへへ。

この「勧酒」の訳は以前から好きだったんですけど、「翼よ、北に」を読んでから、最近益々好きになったんです。

ほら、わたしは韓国時代劇ドラマが好きじゃないですか(←知らんがな、ですよね 笑)。
なんかねぇ、いろんなシーンが、勝手に解釈したこの詩に重なっては、胸に込み上げてくるものがあるんですよ。
語ると長くなるので、ここで止めますが……笑

わたしの読書のペースは一定してないので、突然音沙汰がなくなるときもあると思いますよ~
いるかさんは、いるかさんのペースで楽しんでくださいね。
楽しいのが1番です♡

こちらこそ、いつもありがとうございます!

Macomi55さんのコメント
2022/01/27

地球っこさん
 こんばんは。私も「厄除け詩集」は読んだことあります。リズミカルでおおらかで自分を道化のように見せながらも、胸にグサッと刺さる悲しみや虚しさを表現しているので凄いなと思いました。「サヨナラダケガジンセイダ」も好きだし、「魚拓」やタイトルは忘れましたが、田舎のおせっかいなお母さんのことを書いた詩も好きです。

地球っこさんのコメント
2022/01/27

Macomi55さん
     こんばんは♪

Macomiさんも井伏鱒二の詩、お好きなようで嬉しいです。
わたしは自分ではロマンチックだったり、切ないだったりの詩が好みだと思ってたのですが、井伏鱒二のクスッとなるようなおおらかな詩も意外と好きなんだということに気づきました。

あと明治、大正生まれの詩人の詩がやっぱり好きみたいです。
なんかしっくりきます 笑

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