「勧酒」 于武陵
勧 君 金 屈 巵
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二の漢詩訳でいちばん有名なのが「勧酒」だろう。わたしはこの訳詩がとても好きだ。
人生の儚さ、哀愁が漂っている。
だからといって哀しそうにも思えない。
「ハナニアラシ(花に嵐)」には、良いことには邪魔が入るものだとの意味がある。
そのようなことがこれから起きようとも、今、この酒を酌み交わす時間を生きよう……。
悔いや、諦め、憤り、虚しさは心のうちに燻っているけれども、そのこと全てをも含めて、今ある事実をあるがままに受け入れよう。
清々しいほどの充足感で満たされているようにさえ思う。
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
この「サヨナラ」に、以前読んだ『翼よ、北に』の「サヨナラ」についての文章を思わずにはいられない。
そこには「サヨナラ」を文字どおり訳すと、「そうならなければならないなら」という意味があると綴られていた。
そうならなければならないなら。
言葉にしない「サヨナラ」が、井伏鱒二の訳す「サヨナラ」にも通じるように思う。
心をこめて手を握る。その手の温もりの代わりに、なみなみと酒をつぐ。
「サヨナラ」の言葉に人生の理解のすべてがこもっている。
ただ、この「勧酒」など『厄除け詩集』の「訳詩」には粉本があった。石見国の潜魚庵という人物が唐詩選を俗謡調に和訳したものである。
たとえば潜魚庵の「勧酒」の訳詩はこうだ。
サラバ上ゲマショ此盃ヲ
トクト御請ケヨ御辞儀無用
花の盛リモ風雨ゴザル
人ノ別レモコノ心ロ
漢詩は勉強不足なので直感的なものなんだけれど、潜魚庵の訳詩は原詩に出来る限り忠実であるように訳した気がする。
潜魚庵の訳詩を知ると、井伏訳はもっとおおらかで生き生きしているようだ。わたしにとって井伏訳の「勧酒」は、情景が鮮やかに浮かびあがり、感情がぶわぁと溢れてくる。
井伏鱒二だからこそ誕生した訳であり、井伏鱒二の「勧酒」だといってもいいのじゃないかなぁ。
また井伏鱒二の詩にはなんだか面白いものも多い。ユーモアのある井伏鱒二の性格を表しているような、クスッと笑えるものがけっこう好きだ。
「誤診」
医者が僕のレントゲン写真を出して
「心臓肥大です、要注意ですな」と云った
僕は尋常一年のとき運動会で駆けつこに出た
すると「用意、どん……」の直前
不意に胸がごつんごつんと鳴りだした
これが僕の記憶する最初の胸の高鳴りだ
最近は胸のときめきを感じることがなくなつた
原稿書いてゐて胸がふと動悸を摶ちだすことなど更らにない
僕の感動の最後助(さいごのすけ)だと思はれるのは
京竿で一尺山女魚を釣つたときのものである
僕の心臓は干涸らびてしまつてゐる筈だ
心臓肥大とは誤診だと思ひたい
『厄除け詩集』より
- 感想投稿日 : 2022年1月19日
- 読了日 : 2022年1月19日
- 本棚登録日 : 2022年1月19日
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