おれのやりたいのは、仕事だ。
おれァ、職人だよ。
新選組を天下第一の喧嘩屋に育てたいだけのことだ。
土方歳三は、新選組が烏合の衆だけに、鉄の組織をつくらねばならぬと考え実行する。その結果、鬼の副長として隊士から怖れられ憎まれることにもなった。隊を緊張強化させるために、いやな命令、処置は全て自分が引き受ける。局長である近藤勇が隊士から慕われるよう、全ての憎しみを自分がかぶる。彼にとって新選組を強靭な隊にするためなら、そんなことぐらい痛くも痒くもなかったのだろう。全ては新選組のため。信念を貫きとおす歳三に漢を見る。
そんな気概を理解しながら、いつもちょっかいを出すのが沖田総司。沖田はひそかに俳句をつくるという歳三をからかい、具足をつけ、甲冑を着こんだ歳三の姿を五月人形呼ばわりする。沖田とのやり取りを垣間見ることで、歳三とて赤い血が通う人間なのだとひそかに安堵する。
だからと言って、「新選組副長」としての歳三はやはり鬼のような漢に違いない。
そんな歳三が、どういう意味で沖田を選んだのか。山南敬助が脱走したときのことである。
歳三と山南は結盟以来の古い同志である。それ故にお互い憎しみの感情が膨れてくる。その山南が脱走し、その追手として歳三は、山南が弟のように可愛がっていた沖田ひとりを向かわせる。局中法度では無論切腹である。しかし歳三は、山南が自分の大切な者に斬られるのか、それとも斬るのか。沖田が自分を大切にしてくれた者を逃がすのか、捕捉するのか。それらの判断をふたりに委ねたようにしか思えない。
沖田の「なぜ山南は自分に追いつかれてしまったのか」と腹立たしく思う気持ちはわかる。山南の「追手が君なら、仕方がない」との気持ちも何だかわかる。それは二人の築いてきた兄弟のような関係があったから。でも、歳三はどうだったのだろう。山南が憎かったとはいえ、やっぱり長年ともに過ごした情が込み上げてきたのだろうか。それは、鬼が見せた優しさだったのだろうか。
鬼。実は私にとって鬼は沖田かもしれない。それも美しく幽玄なる鬼。可愛らしく無邪気でありながら、たくさんの人を斬る。何だか彼の精神が孤独の深淵に沈吟しているように思えたからだ。
- 感想投稿日 : 2019年9月19日
- 読了日 : 2019年9月19日
- 本棚登録日 : 2019年9月19日
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