ねむり

著者 :
  • 新潮社 (2010年11月30日発売)
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突然眠ることが出来なくなった主婦。絶え間なく繰り返す日常と、覚醒し続ける夜。この感覚…離人症のような主人公の内面の心の動き。同じ事の繰り返しの日常をこなしているうちに、感情と行動が乖離して行き、乾いて行く感じ…。

17日間一睡もしない夜に、彼女は結婚以来やめてしまった事をやり始める。ブランデーを飲み、チョコレートを食べ、『アンナ・カレーニナ』を延々と繰り返し読み、時には真夜中のドライブに出かける。それらは、かつて好きだったこと、気に入っていたもの、夫との暮らしの中で封印していたこと。

生産性の無い単調な専業主婦の生活は、彼女にとって自分の本当の感情を切り離してもこなして行けるものだ。そこに感情が伴わなくても誰にも気づかれないまま、機械を操作するように決まり切った流れで過ぎて行く日々。現実とはなんてたやすいものだろう、彼女は思う。時々のアクシデントも彼女の存在を揺り動かすことは無い。

眠りとは何か?それは肉体と精神の休息であり、個々の人間の偏った傾向を中和し、クールダウンするものだ。そう書かれた本を読んで、彼女は傾向的に消費される生活の偏りを回復するための眠りなんていらないと思う。「眠るかわりに私は本を読む」そう決心した彼女は不眠を恐れなくなり、「私は人生を拡大しているのだ」と考える。

眠らない夜を過ごすうちに肉体も若返り、美しくなって行く彼女は、身じろぎもせず眠る夫の顔に老いの影を見て醜いと思ってしまう。時間の流れにただ消費される人生に疑問を持たずに老いていく夫。眠りと引き換えに自分だけの時間を過ごす事で若々しく強くなって行く妻。

眠らない夜が続き、暗闇の中で覚醒している彼女は、自分が眠りの感覚を忘れていることに気づく。眠ることで休息しなくても生きている異常な自分…。「死」が眠りの延長で、人生の永遠の休息だと思っていたのは間違いではないか?もしかすると今の様に、何も無い暗闇の中で永遠に覚醒している状態だとしたら…それはぞっとする様な怖ろしい仮説だ。だが、「死」がどんなものかを誰一人知らない。永遠の休息では無く、暗闇の中での永遠の覚醒…。

ラスト、少年の様な服装をした彼女が、広い真夜中の駐車場で車の中にいるとき、左右から2人の人物が車のガラスを叩き、激しく揺らして来る。「私の車を倒そうとしている」そう彼女は怯えるが、車のエンジンはかからず、キーを落として泣くことしかできない。

彼女は「何かが間違っている」と思う。何が?夜の眠りの時間の彼女と、昼の生活の彼女が、本当の意味で生きていることにおいて、逆だと言うことだろうか。覚醒する無意識を解放する「夜の時間」を再び眠りへ閉じ込め、ただ無為に老いて行く事を強制しようとする外からの力を振り切って、走り出す事ができないことだろうか。外からの力…その2人の男は、無意識の中の彼女の夫と息子ではないかと思う。彼らを振り切って彼女は生きられない。

キーを拾って、エンジンをかけ直さない限り、彼女の人生は何かが間違っていると感じたまま、死に向かって行くだろう。しかし、たとえエンジンがかかって走り出しても、彼女が行く所は何も感じない機械的な日々を繰り返す家庭なのだ。それは覚醒しながら虚無の中に居続けなくてはならない「死」に似ている。

人生が一場の夢であるならば、眠りの時間の「私」こそが「本当の私」であり、起きている時間の「私」は眠っている事にはならないだろうか?

異常な不眠経験の中で揺れ動く主婦の世界が、カット・メンシックの挿絵と装丁によって歪んだ鏡の中から、オイル時計の美しいオイルのように滴ってくる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年5月20日
読了日 : 2017年4月10日
本棚登録日 : 2016年10月26日

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