生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

  • 新潮社 (2011年2月28日発売)
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感想 : 184
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小川洋子と河合隼雄のキャッチボールが見事だ。河合隼雄のダジャレやわかりやすい例えが実に効果的だ。聞くことを専門にしている河合隼雄の手法が、ツッコミを入れて楽しんでいる。小川洋子は『博士の愛した数式』を読んで、なんとステキな文章と体温のある物語を書くのだろうと感心した。それ以降、あまり注目していなかったが、最近の小川洋子の言っていることが興味深いので、読み始めた。
「生きるとは自分の物語を作ること」という言葉がいい。
小説家は、いろいろと妄想を働かせることが仕事。河合隼雄は、「小説家と私の仕事で一番違うのは、現実の危険性を伴う。作品の中なら父親を殺すこともできるが、現実に患者さんが殺すと大変です」河合隼雄はいう『若きウエルテル』は、死ぬけれど、ゲーテは長生きする。一流の選手ほど選択肢をたくさん持っている。つまり、死ぬより生きていたほうがいいだろうときちんといえるかにある。
現実の中には、偶然があって、本当にいいことが起こったりする。小説以上の展開がある。問題は、そんな偶然を気がつかないことが多い。
 小川洋子はいう。小説が全く何も書けない真っ白な状態というのが続くことがあります。一生懸命何か書こうとして考える。思いもしないところから、カミオカカンデにニュートリノが飛び込んでくるみたいに、パーっと何かが動き出して描けるようになる。
博士に対する人間的な交流がなんとも言えないものがあり、それがさらに人の痛みに共感することでより深い人間関係を日常の中で掘り起こしている。篠田節子のようにホラーに持っていかないで、日常感をあぶり出す。平凡な中に、きらりと光るものがあるのがステキだ。そこには、作者の確かな視座が必要だと思う。
第1章の魂のあるところは『博士の愛した数式』についての河合隼雄の意見が、作者である小川洋子の想定外のところに広がっていくのが、面白い。
河合隼雄は数学の教師もしたことがあり、数学の美しさについて理解する人であり、江夏の背番号28は阪神タイガース時代だけで、南海17、広島26、日ハム26、西武18だった。阪神の時だけ江夏は完全だったという。博士は阪神の江夏しか知らない。数字は数字だけでない意味を持っているものがある。それは、素数、完全数、友愛数などだ。8は、2の2の2倍で、倍倍倍だから、多いことを示す。八百屋、八百万となる。河合隼雄は、「男性と女性、大人と子供、それに障害のあるものとない者とか、みんな友情が成立する」と言っていたが、『博士の愛した数式』はその見本のような作品だという。
源氏物語は、最古の文学であり、女性が描いた。ほとんどが失恋と出家の物語。出家が身近にあった。つまり、それだけ死の世界が日常生活にものすごく近くて、一歩踏み出せば行けるという感覚だった。「人間はどうして死ぬのか」「死んだらどうなるんだろう」という恐怖が物語を生み出している。死が間近になっていた現在はいろいろな面白いことがあって、死が遠くにあるような錯覚に陥っている。
戦争で生き残ったり、震災で生き残ったり、身近な人が死んだりしたら、「自分が悪いのではないか」と生き残った自分を責めてしまう。
小川洋子はいう「人間が困難な現実を、自分の心に合うように組み立て直して受け入れる」。生き残った自分を責めるというのは、原罪とは違う。
この問題意識から、小川洋子は、アウシュビッツ収容所で生き残った人へのインタビューやアンネの日記に関わる人たちを拾い上げていく。自分に責任がないのに自分が悪いのではないかと自分を問い詰めてしまうあり方を、もっと深く取り下げて、生きていることがいいんだといえる小説を書こうとしている。
なるほど、この問題意識は、かなり重要なテーマでもある。
非言語的世界が、1万年前に長くあり、そして言語的物語が、神話、聖書、昔話となった。それは人間の悩み、死と向き合うことなどが題材となっている。人間の共通の課題が昔からあった。日本は、厳密さと曖昧さが入り混じった社会となっている。一神教ではないことが大きな要因。論理的に矛盾することがあったまま科学の進歩がある。科学は曖昧を容認しない。その矛盾を生きていることが日本人のありようがある。こういう矛盾を生きることが、個性ともなる。弱さがわかることと強くあること。強くあることが、難問をくぐり抜けることができる。
いろいろな苦しみや悲しみ、それを受け入れるために自分の物語を作るなのだ。なんか、いい対談に巡り会えた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: しごと術
感想投稿日 : 2023年10月25日
読了日 : 2023年10月25日
本棚登録日 : 2023年10月25日

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