人間にとって科学とはなにか (中公新書 132)

  • 中央公論新社 (1967年5月1日発売)
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5

学生の頃 科学技術史に 興味を持っていた。
何故なのかは、いま 思い出せない。
基本的には 
『科学は幸福をもたらすと言われていたが
現実は そうではない。科学が道具としたら、
つかう人によって 不幸をもたらす。
それならば、どのように科学が発展してきたのか?』
というような 問題意識だったに違いない。

『人間にとって科学とはなにか』
は学生時代に読んだ。
その頃から、私は 本にアンダーラインをつけていた。
それを手にとりながら 『梅棹忠夫』が 対談相手なので
再度読み直そうと思って 読んでいるのである。

梅棹忠夫は 今西錦司の弟子で 生物と山登りが専門で
そこから 文化人類学に まよいこんだ人だ。

明治生まれの湯川秀樹と言う 『老荘』の素養もある 泰斗と
どのような話が 繰り出されているのかが とても興味があった。
本とは ふしぎな存在だ。
随分前に読んだ本にも関わらず、いま読むと 50年近く経っているにも
かかわらず、新鮮な刺激を受ける。

はじめに
湯川秀樹はいう『全体的に悲観的な傾向がつよいのに気がついた』

というのは 科学が ある意味では 明るい未来を築くものではないと
言う時代背景が あったのだろう。この対談は 1967年。
高度経済成長から 公害と言う 社会的な問題が 横たわっていた。

湯川秀樹は言う
『老子や荘子の思想は、一方において、優れた自然哲学でありながら、
同時に最も根元的な意味における科学否定論でもあった。』

ふーむ。でだしからおもろいのだ。

湯川秀樹は言う
『人間の前に未知の世界が開かれていると思うからこそ、
科学は進展し変貌してやまないのである。』

デカルトはいう
『まず自明なものから出発せよ』

梅棹は言う
『17世紀に確立されたニュートン力学は、人間的スケールの常識的な現象を扱っていた。論理的に一貫した理論体系が経験事実ともあっていた。』

ニュートンはいう
『我は仮説つくらず』

湯川秀樹は ニュートンはそういっているが、舞台裏がある。
密度 と言う概念が仮説的になり 質点 で乗り切った。
それで ものの見方、考え方を高度に抽象化している。

情報物理学
物理学の対象は 物質とエネルギー。そして 時間と空間。
そこから はみ出してきたものが 『情報』 だった。
さらにすすめて エントロピーという概念へ。

情報は 秩序を指定する。
情報とは 可能性の選択的指定作用 と梅棹は規定する。

生物は 存在すること自体が情報。
生物を ものとして 取り扱いで終わるならば 進化史などはいっこうに了解がつかない。
リプロダクション が 生物学の概念にあるが、
それが 物理学の中に取り込めるか。
情報 それ自体が 自己増殖する。

ものとこころ。
それをつなぐものが 情報である。

湯川秀樹は言う
『わかったやつはわかった。わからんやつはわからんでは困る。悟りみたいなことになってしまっては困る。それでは科学にならない。』

科学が進歩することによって 人間は豊かになるのか?
という問いかけで、確かに豊かになっている筈なのだが。
そこから、先が見えない。

宗教と科学の対比がおもしろい。
宗教は 最初から 説明されている。
科学は わからないことがあり、それを知ろうとする
ことによって、組み立てられているが、
いまだにわかったことがすくない。

納得というテーマが この時点から 論議されていたことに
おどろきますね。
やはり、納得は 重要だ。

知的好奇心が 原動力なのだが
なぜ 知的な好奇心が 生まれたのだろうか。

食欲、性欲より勝るのが 知的好奇心。
知りたいと言うのは すばらしい人間の能力。

それにしても、クスリ について 
危惧をするのはおもしろい。

進化論って 未だ仮説のママでしかないのだ。

イヤー。これだけ、アンダーラインを引く本もすくないね。
おもしろかったよ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 科学
感想投稿日 : 2014年8月28日
読了日 : 2014年8月28日
本棚登録日 : 2014年8月28日

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