行人 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1952年3月24日発売)
3.79
  • (147)
  • (177)
  • (222)
  • (17)
  • (3)
本棚登録 : 2280
感想 : 180
5

夏目漱石(1867-1916)の後期の長編小説、1914年。 所謂後期三部作の二作目で、『こころ』へと続くことになる。

生きていく人間を苦しめるこの世界の厳粛な事実というのは、根本的にはただ四つだけだと思う。①人間は必ず死ぬということ(有限性)。②人間は時間を戻せないということ(不可逆性)。③人間は他者の内面を知り得ないということ(不可知性)。 ④人間は自己を知るということがいかなる事態かを知り得ないということ(自己関係性)。

このうち、本作が扱う主題は③の苦悩である。



他者の気持ちを知ること、他者の気持ちを操作すること。これらは理性の限界を超えている。他者は理性にとって予め到達不可能である。よって、理性によってこれらを叶えることは論理的に不可能である。にもかかわらず、理性はそうした自らの無力を顧みず、虚しくその願いの実現を希求せずにはおれない。理性はかくも僭越なものだ。理性はそうした自らの限界があるにもかかわらず、そんなものは無視して、認識し得ない物事についても何らかの認識を得ようと、越権行為を辞さない。人が何らかの観念を得ると、理性はその観念を対象化し、その観念に関する埒も開かない空語をその観念のまわりにまとわりつかせる。とかく理性は考え過ぎる。ほどほどというのは理性の定義に反するのであって、理性とはそれ自体で極端なものだ。理性の対象化作用は無際限に続く。分不相応であるが(超越)、分不相応であることが当の「分」である(内包)という矛盾。

「昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、決して前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那々々にぽつぽつ中断されるのです。食事中一分毎に電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいに違ありません。然し中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんは詰まる所二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁と姑の様に朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです」(p358)。

その果てに見出されるのは、他者の透明な内面ではなくて、他者の内面を強迫的に窃視しようとする支配欲に憑かれた自己の姿、透明を曇らせている当の自己の姿、だけである。透明は、理性の僭越な欲望の中にのみあり、理性の構制そのものによって予め否定されている。こうして、理性は自らの条件によって他者と世界から徹底的に疎外され、エゴイズムと孤独のうちに永久に囚われるしかない。理性の僭越な徹底性が世俗の幸福を無限遠に投げやってしまう。

では、理性が他者と世界から疎外されてしまう苦悩は、いかに解消することができるのか。この苦悩が理性の対象化作用(それは、作用の対象をオブジェクトレベルに置き、作用の主体をメタレベルに置くという仕方で、自他分離を惹き起こす)からくるとするならば、理性そのものを無化するしかない。理性を無化することによって、自他未分離へ回帰しようとする以外にない。

「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」(p357)。

「兄さんは純粋に心の落ち付きを得た人は、求めないでも自然にこの境地に入れるべきだと云います。一度この境界に入れば天地も万有も、凡ての対象というものが悉くなくなって、唯自分だけが存在するのだと云います。そうしてその時の自分は有とも無いとも片の付かないものだと云います。偉大なような又微細なようなものだと云います。何とも名の付け様のないものだと云います。即ち絶対だと云います。そうしてその絶対を経験している人が、俄然として半鐘の音を聞くとすると、その半鐘の音は則ち自分だというのです。言葉を換えて同じ意味を表わすと、絶対即相対になるのだというのです、従って自分以外に物を置き他を作って、苦しむ必要がなくなるし、又苦しめられる懸念も起らないのだと云うのです」(p370)。

「僕[一郎]は明かに絶対の境地を認めている。然し僕の世界観が明かになればなる程、絶対は僕と離れてしまう。要するに僕は図を披いて地理を調査する人だったのだ。それでいて脚絆を着けて山河を跋渉する実地の人と、同じ経験をしようと焦慮り抜いているのだ。僕は迂闊なのだ。僕は矛盾なのだ。然し迂闊と知り矛盾と知りながら、依然として藻掻いている。僕は馬鹿だ。人間としての君[H]は遥に僕よりも偉大だ」(p372-373)。

しかし、こんな破壊的な仕方によってしかこの苦悩を解消できないとするならば、これは人間が決して克服し得ない宿命なのではないか。



自己の内に他者を見出し、自己を他者と不可分とみなす「分人」主義の考えは、こうした近代に典型的な論理的苦悩を組み替えてしまう可能性があるかもしれない。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本文学
感想投稿日 : 2021年8月18日
読了日 : 2021年8月16日
本棚登録日 : 2021年8月18日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする