「人間と言うのは抱かないほうがいい考えを抱く。生きていくうえではそういうことが起こるものなのだ。」
母として、女としての、後悔と讃歌。どうしようのない欲望の奔流とそのあとにおとずれるひっそりとした罪悪感と諦めのような赦し。なんだかすべてが言い訳みたいで、だからそれがとても生々しくってさびしくて、とてもすきだった。
終焉にむかってゆく、それまでの宝物のような(あるいは解くことのできなかったパズルみたいな)記憶の欠片という、(わたしにとって)最高のご褒美をおいて、Ave atque vale。
こんなにもたくさんのことを"覚えている"ことのできる彼女だから、幾多の 宝物 が次々とこぼれ落ちてゆくことを、どんなにか恐ろしく、さびしくかんじるのだろうとおもった。
「Leaving Maverley 」のレイがレアに"映画" を説明する場面もたまらなくすき。なんていう偏屈。愛すべき偏屈。けれど、何故、わたしはそれが彼女じしんの考えである、なんておもったのだろう。きっとただそう思いたかっただけなのだろう。でも、それのなにが悪い??じぶんを慰めることばをしぶんで言い聞かせながら、「わかってるけど、そんな簡単にできるかー」なんてしぶんでつっこみを入れている。そんな毎日、そんな人生の??
Dear Life ,For dear life、ごにょごにょ...
「陰鬱な恋しさ、雨に濡れそぼつ夢のような悲しさ、心にごろごろする重さ。」
「たいていの場合、わたしは自分を出し惜しみしている。」
「これからの彼という存在が、この状況の月並みな快適さをすべて吸い上げてしまい、代わりに、贅沢なというよりは、張りつめた、神経がぴりぴりするような喜びを与えてくれるだろう。」
「やたら興奮を求め、大事なことに注意を払おうとしないのは、時間の無駄、人生の無駄使いだ。」
「なんて素晴らしい言葉だ──「Ramains」。戸棚のなかの煤けた堆積のあいだで干からびるがままにされているものみたいだ。」
「これからは生きるのだ、読むのではなく。」
「たとえ何があろうとな。まあやってみろよ。君ならできる。どんどん楽になるぞ。状況なんて関係ないんだ。どれほど快適か信じられないぞ。すべてを受け入れるんだ、そうすれば悲劇は消える。というか、ともかくも悲劇は軽くなる。そして君はただそこにいる、世の中で気楽にやりながらね」
「たぶん五十は越えていて、そういう年齢の女というのは権威を振りかざす習慣を身につけていることがある。」
「ちょっと気になるのはただひとつ、わたしたちの人生にはもう何も起こらないという思い込みがあることだ、とわたしは言った。わたしたちにとって重要なことは何も、何とかしなければならないようなことはもう何も。」
「わたしはちょっと気を良くしたが、同時に警戒心も感じた、生徒に熱をあげられていることに気づいたときの気分だ。それに決まり悪さもあった。そんなに持ち上げられる資格がないような気がしたのだ。」
「店や店の看板も侮辱だし、止まったり動いたりする車の騒音もそうだ。どこでもかしこでも、これが人生だと宣言している。わたしたちにはそれが必要なのだと言わんばかりに。さらなる人生が。」
「詩人にむかってその詩について完璧なことを言うなんて、誰にできる? しかも多すぎず、少なすぎず、丁度じゅうぶんなだけ。」
「一種のぞくっとするような高揚感があった。何もかもが吹き飛ばされる、平等に── こう言わずにはいられない ── 平等に、いきなり、私のような人たちも、私よりひどい人たちも、世間の皆のような人たちも。」
- 感想投稿日 : 2023年5月9日
- 読了日 : 2023年5月8日
- 本棚登録日 : 2023年5月9日
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