今日われ生きてあり (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1993年7月29日発売)
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私が初めて“戦争”という言葉にふれたのは、小学2年生の時に家族で旅行した広島の平和記念公園だ。ただ、私が記憶する初めての家族旅行だったので、楽しかった思い出の方が強く、8月6日の式典の様子をテレビで見ると、申し訳ない気持ちになる。大人になった今、もう1度訪れたいとは思っているのだが、なかなか実行に移せない自分の意識の低さに幻滅する。
そもそも私が8月6日の式典をテレビで見るようになったのは、大学生の頃付き合っていた広島出身の彼氏の影響だ。8月6日の朝、9時過ぎに目が覚めた。すると彼は「寝坊して、黙祷するの忘れた。」と、とても悲しそうにしていた。恥ずかしい話だが、私は何の事を言っているのか分からなかった。聞くと、広島出身の彼はちっちゃい頃からずっと、8月6日には黙祷をしてきたそうだ。黙祷が出来なかった彼は、その日1日悲しそうに見えた。はっきり言って普段はちゃらんぽらんな男である。毎年黙祷してきた彼と比べると、私は今まで何をしてきたのだ、とまで思ってしまった。同じ日本人として、意識の低すぎる自分が本当に情けなかった。ちなみに、その次の年は大学の試験の関係で8月6日を共に過ごすことは出来なかったが、彼は黙祷をしたようだったし、私は生まれて初めて式典の様子をテレビで見た。その後3ヶ月ほどして彼とは別れてしまったが、彼はきっと毎年8月6日に、黙祷をしているに違いない。

戦争に関して言えば、もう1つ思うことがある。
中学生になったばかりの頃のお墓参りだったと思う。母方の実家は田舎で、1人に1つお墓がある。30近くの墓石が並び、正直ほとんどどれが誰のお墓か分からない。お菓子を供え、線香に火をつけていると母が言った。“これはおじいちゃん(母の父)の弟のお墓。おじいちゃんはみんなに言ってないけど、おじいちゃんの弟は体が弱くて、兵隊として戦争に行けず、それが恥ずかしくて家で自殺したんだよ。”
祖父が内緒にしていることがどこからもれたのかは知らないが、その時私は、祖父の弟さんに申し訳ないが“そんなことで…”と思ってしまった。“私なら、戦争に行かなくてすんで良かったと思うけど。”そんなことを母に言ったら、“そんな時代じゃなかったんじゃないかな。”と言った。
その意味を深く考えないまま私は歳をとってしまった。

この本を読んで思う。
あの頃は、国の為に戦うことこそが素晴らしく、誇りであったんだなぁと。
そして彼らは自分の愛する家族、恋人を守るために戦っていた、飛んでいったのだと。死を数時間前に控えた彼らが書いた遺書には、彼らの優しく暖かい気持ちが詰まっている。(そして言葉遣いや文章がとても美しい。)死を前にしても、愛する人の幸せを願う彼ら。胸が何度も熱くなった。
ただ思わずにはいられない。
戦争さえなければ、彼らや彼らの家族には一緒に過ごす未来があったのに。

言いたい。自分の為に戦わなくてもいい。愛する人には生きていて欲しい。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: か行の作家
感想投稿日 : 2011年8月29日
読了日 : 2008年月
本棚登録日 : 2011年8月29日

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