2019年の首里城火災を受けて、読もうと思って読んだ。
三島作品は、やたら難しいかっこつけたような言い回しが多くて。。。
それらをがんばって咀嚼して、‶これかな”と少し理解できるような時がある。その瞬間がうれしい。
この遠回りする文は疲れるけれど、ときどき浸りたくなる。
「昼の間というもの、このふしぎな船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに委せ、夜が来ると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出奔したのである」
金閣を船にたとえる。このあたりはまだとてもわかりやすいんだけど・・・
溝口の目にうつる金閣は‶空襲で滅びるかもしれない”という予感で輝く、ということかな。
終わりがあるから美しい?
登場人物については、溝口と鶴川の関係が良い。
溝口が‶陰画“で、鶴川が‶陽画”。
「鶴川の持ち前のそういう仕方、すべての影を日向に、すべての夜を昼に、すべての月光を日光に、すべての夜の苔の湿りを、昼のかがやかしい若葉のそよぎに翻訳する仕方を見れば、私も吃りながら、すべてを懺悔したかもしれない。」
柏木もこじらせてる変な人だけど、なんだか好きだな。
「奴らは生前さっぱり想像力を持っていなかったから、墓もおのずから、想像力の余地のないような奴が建っちまうんだ。しかし優雅のほうは、自他の想像力だけにたよって生きていたから、墓もこんな、想像力を働かすより仕方のないものが残っちまうんだ。」
「細部の美はそれ自体不安に充たされていた。それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした」
- 感想投稿日 : 2022年2月20日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2022年2月20日
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