幼い頃に母と暮らしていた『ポプラ荘』の大家のおばあさんの訃報。
そこで暮らした3年間を思いながら、千秋は居ても立ってもいられない思いで、ポプラ荘に向かう。
その頃、まだ7歳にもなっていなかった私=千秋は、交通事故で突然いなくなってしまった父の死を理解できず、得体の知れない不安や恐怖を抱えていた。
病気になった時、はじめ不気味でおそろしかった大家のおばあさんから、不思議な話を聞かされる。
おばあさんは、自分が天国へ行く時に持っていけるように、先に天国に行っている人たちへの手紙を預かっているというのだ。
それ以来、千秋はおとうさんに宛てた手紙を書いてはおばあさんに預けるようになり…
幼い頃の千秋の、脈絡のない心の震えは、忘れてしまっていたような、どこか記憶にあるような。
読み終えて、何かを思い出したような心地になった。これからきっと起こるに違いないおそろしい事に出くわさずにすむにはどうしたらいいのかと、ぐるぐる考えていたんだった。
今でも、その傾向は変わらないけれど。
『夏の庭』でも本作でも、それまで身近に感じたことのなかった血縁のない年長者との交流で、子供たちは心のなかに健やかな芯のようなものを得て、前を向いて生きる力を持つようになった。
人はみな、生まれた瞬間から死に向かって歩き始める、とよく言われる。
老いも死も知らないで生きるということは、自分もやがて通る道を知らないということ。
死への恐れは、逃れられない変化への恐れでもあるのかな…
『長生きすることのリスク』を無視することはできないけれど、生きることを楽しんでいる大人〜高齢者でいることで、年若い誰かに、“歳を取るのは悪いことばかりではない”と教えられるような歳の取り方をしたいものです。
- 感想投稿日 : 2020年12月10日
- 読了日 : 2020年12月5日
- 本棚登録日 : 2020年12月5日
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