レイ・カーツワイルのシンギュラリティ論は「社会のルールが根本から変わる」「不連続で破壊的な変化が訪れる」と主張するものだけど、その議論の前提が「今日までの指数関数的な成長は今後もずっと続くのだ」なんだから、じつにおかしな議論ですよね、常識的に考えて。だって、その主張(シンギュラリティ)が実現した社会において、「その前提」がそのまま通用するとは限らないわけだから。
論理的に破綻しているとまでは言わないけど、だいぶ「ゆるふわ」な推論、希望的観測だなあと思いました。彼が本のなかで自ら書いてるほど「堅牢」な理論ではないことだけは確か。
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哲学好きな人向け:
伝統的な意味での「懐疑主義者」はこういうの鵜呑みにしませんね。この場合の「懐疑主義者」ってのは単に「疑り深い人」という意味ではなくて、バークリ、ヒューム、ポパー、タレブみたいな思想の系譜ですね。まあ実際疑り深い人なんだけど。
しかしあれだね、ヒュームは自然の斉一性原理を疑ったし、ある意味で現代版のそれがメイヤスーだとも言えるだろうけど、そういう前提を共有するならば、レイ・カーツワイルの議論って結局「毎日東から日が昇るんだから未来永劫そうに決まってるだろJK」っていう議論なんだよね。まずいって。
そういう議論の根拠薄弱さを補うために、ああいう宗教臭い文体になるのかなあ、と邪推しちゃった。
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本のつくりとしては「無駄に長くてどうでもいいことがたくさん書いてある」という印象だった。しかし見方を変えれば「SF小説を書くときなどには資料集として使えるんじゃないか」とも思った。
- 感想投稿日 : 2016年6月4日
- 読了日 : 2016年6月4日
- 本棚登録日 : 2016年6月4日
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