作品紹介・あらすじ
脱政治の動きに胚胎する「政治」の危険性と可能性、グローバル都市東京に登場した石原慎太郎、ネットワーク型メディアの普及がもたらしたもの、消費社会に見え隠れするナショナリズムと新しい市民運動-グローバル化がつきつける、さまざまなレベルでの変化を読み解きつつ、今この国に起きている地殻変動の意味、そして「新しい公共空間」のありようを探る。気鋭の研究者二人が、綿密な議論を重ねて共同で打ち出す、斬新な現代日本社会論。
感想・レビュー・書評
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【坂本義和:「世界市場化への対抗構想」:「市民国家」】p22
グローバル化とともに国家からの自立を志向する二つの流れが基本的な対立軸を形成しつつある。その一方が「市場の世界化」であり、他方が「市民社会の普遍化」である。この二分法からすると、市場とは、社会関係の「商品化」を特徴とする「欲望の体系」であり、他方、市民社会とは「人間の尊厳と平等な権利との相互承認に立脚する社会関係がつくる公共空間」を指している。そして「市民国家」とは、後者の市民社会的な公共性が浸透し、それによって制度化された国家にほかならない。その上で世界をなめ尽くすようなグローバル化の暴圧に対する市民国家のリージョナルな連合が構想されているのである。
結局のところ、グローバル化は何らかの一貫した原理に基づく体系的な運動などではなく、統合と分裂、均質化と異質性の増大、資本の分配と労働力のトランスナショナルな再編、これらすべてが不均等かつ同時的に絡まりあっていく矛盾だらけの過程なのである。
Cf. A・D・キング『文化とグローバル化』p32
「〜は決して政治の不活動性を意味するものではない。むしろ抵抗や反対へのポテンシャルが、日常生活という構造そのものの中に縫いこまれているのである。それは、日常生活におけるオールタナティブな意味を実践する諸個人や集団の分子的経験の中に存在している」。Cf. アルベルト・メルッチ『現在に生きる遊牧民』
メルッチはグローバル化がこうした社会運動の分散化や多次元化を強化していると考える。今日の運動において、行為の機会や抑止のフィールドは多極的で多国籍的なシステムのなかで再定義されるのであり、世界各地では運動は、歴史的起源を異にする問題や紛争を多元的に含みながら、現在という時間の単一性のなかにネットワーク化されている。
⇒グローバル化の遠近法の中で、われわれの社会が政治的なものや公共空間をいかに思考しようとしているのか。
【リビングルームの時間割装置】p133
一般に、テレビとその視聴者の間には、テレビが人々に何をどのように視聴させるのかという<テクスト=解釈>レベルの関係と、テレビがそもそも人々の「視聴する」活動をどのように組織するのかという<メディア=ハビトゥス>レベルの関係が交差している。
著者プロフィール
1950年熊本県生まれ。東京大学名誉教授。専攻は政治学、政治思想史。主な著書に『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ―近代文化批判』(以上岩波現代文庫)『ナショナリズム』(岩波書店)『東北アジア共同の家をめざして』(平凡社)『増補版 日朝関係の克服』『姜尚中の政治学入門』『漱石のことば』(以上集英社新書)『在日』(集英社文庫)『愛国の作法』(朝日新書)など。
「2017年 『Doing History』 で使われていた紹介文から引用しています。」
姜尚中の作品