- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000229210
感想・レビュー・書評
-
『スローなブギにしてくれ』のイメージが強すぎて、片岡義男のことを遠ざけてきていた。迂闊だった。
そのことに気がついたのは『音盤時代音楽の本の本』でぼくはプレスリーが大好き』を読み、同時代の目線でプレスリーからビートルズまで描く筆致と、植草甚一らと共に草創期の「宝島」編集長としても活躍していたという事実を知ったからである。
それから片岡義男の本を漁るように読んだ・・・わけではない。
むしろ本書をとっかかりとして読んでいこうと思う。
ハワイ生まれの父は本土に渡り、いかにもアメリカらしい英語を身につけた人であり、母は日常的には関西弁を話すくせに片岡少年に対しては東京言葉で語りかけるという環境で生まれ育った片岡が<blockquote>自分のものとして使う言語によってその人の思考が決まっていく、と言われている。その言葉が世界をどのように捉え、それをどんな風に言い表す能力を持っているのかという問題が、そっくりそのまま、その言語を使う人の世界のとらえかたと言いあらわし方になっていく、という意味だ。</blockquote>
という言葉を引いているのは興味深い。
彼は日本語を母国語として選んだが、同時に英語にもペーパーバックなどを通して触れていく。
<blockquote>英語はアクションに則した言葉だ、とさきほど書いた。則しているだけではなく、言葉そのものがアクションでもある。</blockquote>
という語るのは「なるほど」だと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
片岡義男の自叙伝的エッセイである。
ペーパーバックを読み始めるところや翻訳するところ、どのように短編小説を書き始めるかという創作の一部が披露されているところなどは、なかなかおもしろく読める。 -
懐かしいなぁ…と思って読んだけど、思っていた感じとは違ってた。
-
090
-
45頁、誤植「そっくそのまま」
50頁、誤植「多用していはずの」
54頁、誤植「いまにわかには」