言葉を生きる

著者 :
  • 岩波書店
3.68
  • (4)
  • (8)
  • (9)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 110
感想 : 11
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000229210

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ちょっと変わったエッセイ集である。表題に『言葉を生きる』とあるように、自分と言葉のかかわりについて誕生から現在までを四つに区切り、通時的にまとめられている。自伝風エッセイと呼んでいいかもしれない。自伝風といっても、そこは片岡義男である。主題に関係のないアネクドートの類は一切切り捨てられている。ハワイ生まれの父は本土に渡り、いかにもアメリカらしい英語を身につけた人であり、母は日常的には関西弁を話すくせに片岡少年に対しては東京言葉で語りかける人、といった徹底的に言葉とのかかわりにおいてのみ読者の前に登場する。

    父が日本を観光中に母と知り合い結婚する。当時は戦時中で母を連れてアメリカに渡ることができず、二人は日本で暮らすことになる。片岡は赤子のときから父からは英語で、母からは日本語で話しかけられて育つ。その結果、そのどちらもが母語となる二重言語の人として彼は育つ。戦争が激しくなり、岩国に移った片岡は八月六日のきのこ雲を目にしている。ここまでが第一部。

    東京に戻った片岡は古書店でペイパーバックを見つけると買い集める。読むためではなく、そこにアメリカを感じていたからだ。ふとしたきっかけから彼はその一冊を読み、本の世界に触れる。大学生時代は、ビリヤードと古書店めぐりに明け暮れた。先輩の小鷹信光から翻訳してみるかい、と渡された一篇のミステリが彼の行く道を開いた。第二部の最後を飾る「美人と湯麵」がいい。片岡の小説のヒロインの原型がどこから来ていたかを明らかにする、上出来のエッセイになっている。

    第三部は、雑誌に文章を書き出した時代。僕らが片岡義男の名を覚えたのはこのあたりからだ。テディというペンネームの由来がサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』から来ていたことを初めて知った。田中小実昌のジョークをネタに、自分の日本語の文章を語る「西伊豆とペン」もいい。片岡は「拾う」という日本語を自分の文章で使えない。なぜなら、「拾う」という語が持つ日本人なら誰でもが理解するニュアンスを表す英語がないからだ。片岡は英語で考える。英語で考えたことを日本語で書くのだから、言葉として存在しないものは書けない。当然のことだ。彼の書く文章が好きだが、その秘密がこんなところにあったなんて初めて知った。

    第四部は、小説作法について実例を挙げて書いていく。自分の小説がどうやって描かれているのかを、こんなにあからさまに書いてみせる作家を他に知らない。片岡の書く小説はほどよい具象と抽象の均衡の上に成立する。例えば、居酒屋の品書きに見つけた「塩らっきょう」と、その右隣にある「えんどう豆」。この絶妙の組み合わせから小説が生まれる。このあたりの進み具合は実際に読んでもらうしかない。

    片岡の小説は完全なフィクションである。それは、彼が小説を書く言葉が日本語だからだ。英語で書くならノン・フィクションになる、と彼は言う。英語はアクションの言葉だから。英語で考えたストーリーやアクションを日本語で書くわけだが、片岡には生理的に書けない文章というものがある。先にあげた「拾う」もそうだが、心理的に書けない言葉もある。ある意味、きわめて不自由な作家ということになる。しかし、そのできないことの多くが片岡を他の誰でもない片岡義男にしているのだ。そういう意味ではなんと自由な作家だろう。

    日本で小説家といえば、なんとなく胡散臭い人物を思い浮かべてしまう。自分の思ったことや考えを人物に託したり、あるいはもっと無意識に自分を垂れ流すように書き散らしたりすることに何の疑問も持たず、小説家でございとやっている、そんな作家の書くものを小説というなら、片岡の書くものをなんと呼べばいいのだろう。自分とは完全に無縁の虚構としての小説。この風通しのいい乾いた場所を好む少数の読者に向けて片岡は今日も書いている。何軒かの喫茶店をはしごしながら。

著者プロフィール

1939年東京生まれ。早稲田大学在学中にコラムの執筆や翻訳を始める。74年「白い波の荒野へ」で小説家としてデビュー。翌年には「スローなブギにしてくれ」で第2回野性時代新人文学賞受賞。小説、評論、エッセイ、翻訳などの執筆活動のほかに写真家としても活躍している。『10セントの意識革命』『彼のオートバイ、彼女の島』『日本語の外へ』『万年筆インク紙』『珈琲が呼ぶ』『窓の外を見てください』『いつも来る女の人』『言葉の人生』ほか多数の著書がある。

「2022年 『これでいくほかないのよ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

片岡義男の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三浦 しをん
ジャレド・ダイア...
ポール オースタ...
村上 春樹
ジョージ・ソーン...
ジェームス W....
スティーブン・ピ...
佐藤雅彦
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×