言葉を生きる

著者 :
  • 岩波書店
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本棚登録 : 110
感想 : 11
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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000229210

感想・レビュー・書評

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  • 片岡義男の書く「日本語と英語」論はいつも私の襟を正すものとして読める。彼は恐らく言葉の唯物論者なのだろうと思う。彼の中には少なくとも日本語と英語という2種類の言葉が備わっているわけだが、その言葉は単に話し言葉/書き言葉という次元を超えて彼の行動規範/価値観を左右するもの、思考回路を支えるものとして機能していることが話される。私たちだって同じように言葉を操りあるいは言葉に操られていると言えば言えるわけだが、彼の中で常に働くそうした「操る/操られる」という力学に彼は自覚的になり、こうした私小説的随筆に結実する

  • 『スローなブギにしてくれ』のイメージが強すぎて、片岡義男のことを遠ざけてきていた。迂闊だった。

    そのことに気がついたのは『音盤時代音楽の本の本』でぼくはプレスリーが大好き』を読み、同時代の目線でプレスリーからビートルズまで描く筆致と、植草甚一らと共に草創期の「宝島」編集長としても活躍していたという事実を知ったからである。

    それから片岡義男の本を漁るように読んだ・・・わけではない。
    むしろ本書をとっかかりとして読んでいこうと思う。

    ハワイ生まれの父は本土に渡り、いかにもアメリカらしい英語を身につけた人であり、母は日常的には関西弁を話すくせに片岡少年に対しては東京言葉で語りかけるという環境で生まれ育った片岡が<blockquote>自分のものとして使う言語によってその人の思考が決まっていく、と言われている。その言葉が世界をどのように捉え、それをどんな風に言い表す能力を持っているのかという問題が、そっくりそのまま、その言語を使う人の世界のとらえかたと言いあらわし方になっていく、という意味だ。</blockquote>
    という言葉を引いているのは興味深い。

    彼は日本語を母国語として選んだが、同時に英語にもペーパーバックなどを通して触れていく。
    <blockquote>英語はアクションに則した言葉だ、とさきほど書いた。則しているだけではなく、言葉そのものがアクションでもある。</blockquote>
    という語るのは「なるほど」だと思った。

  • 片岡義男はこのところ『日本語/言葉』に関する言及をいろいろしているけれど、その立ち位置が「物書き」としてでも「学究的」なものでもないところがいかにも彼らしくて面白く読んでいる。

    でもこの作品にはびっくりした。何と、自伝なのである。彼はいろいろなエッセイに自分の少年時代や就職前後の話などをちりばめているので、なんとなあくどういう経歴なのかはわかっていたつもりだったけれど、そんな「つもり」は吹き飛ばされるほどにユニークな生い立ちだったことに改めてへええ、と思わされた。

    中味を書いちゃうとネタバレになるから抑えるけど、今までちょっと不思議に思っていた彼の文体、語彙の選択などについての理由が一挙(とまではいかないのだけれど)にわかったような気がさせられる内容といえる。

    もちろん、彼とてこうやって分析をしながら育ってきたわけではないだろうけれど、今自分の職業の根幹にある『言葉』というツールをつかって、そのありようの変化をもとに自分の人生を見なおす、まさに「生きる」ということ、新しい視点をもらえたようでとても得した気分になった。 

  • 学生時代は片岡義男にはまっていて、本棚が真っ赤な文庫本で埋め尽くされていた。あの、カッコいい世界に憧れていた。
    そんな世界が描ける片岡義男ってひとは秘密のベールの向こう側にいるような感じだった。この本でそのベールがかなりとれた感じ。
    それでも、居酒屋の壁にかかった品書き「塩らっきょう」と「えんどう豆」だけで、如何に小説が書けるか は、さすが片岡義男ワールドです。

    いいなぁ、やっぱり。

  • 片岡義男の自叙伝的エッセイである。
    ペーパーバックを読み始めるところや翻訳するところ、どのように短編小説を書き始めるかという創作の一部が披露されているところなどは、なかなかおもしろく読める。

  • 懐かしいなぁ…と思って読んだけど、思っていた感じとは違ってた。

  • 片岡義男の文章を初めて読んだ。

    父親はハワイの日系二世。日本岩国に帰国している時に戦争となり帰れなくなった。母親は岩国、教師。
    ずっとバイリンガルで育つ。

    東京に出て早稲田。神保町に通い、ペーパーバックを買い漁り、喫茶店に入り浸る。
    「マンハント」誌に訳してみないかと誘われ、それ以来文筆業。
    書くものはフィクション。
    自分の文章は英語が裏打ちしている、と思う。

    私より5才くらい下か。
    私はハヤカワミステリーマガジンの都筑道夫氏にいきなりペーパーバック1冊の翻訳を送りつけ、それが縁で何篇かの短編の翻訳を同誌に載せてもらったことがある。1956年頃だ。
    それを続ける意思も才能も私には無かった。

  • 一つの壁を越えたことで、壁を自分の背後にすることができた。
    なんとかして間接性を確保したい。

  • 090

  • 45頁、誤植「そっくそのまま」
    50頁、誤植「多用していはずの」
    54頁、誤植「いまにわかには」

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著者プロフィール

1939年東京生まれ。早稲田大学在学中にコラムの執筆や翻訳を始める。74年「白い波の荒野へ」で小説家としてデビュー。翌年には「スローなブギにしてくれ」で第2回野性時代新人文学賞受賞。小説、評論、エッセイ、翻訳などの執筆活動のほかに写真家としても活躍している。『10セントの意識革命』『彼のオートバイ、彼女の島』『日本語の外へ』『万年筆インク紙』『珈琲が呼ぶ』『窓の外を見てください』『いつも来る女の人』『言葉の人生』ほか多数の著書がある。

「2022年 『これでいくほかないのよ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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