洪水の年(上)

  • 岩波書店
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000229401

感想・レビュー・書評

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  • <上・下巻併せての評です>

    ディストピア小説の傑作『侍女の物語』の作者マーガレット・アトウッドによる「マッドアダムの物語」三部作のひとつで、やはりディストピア小説。近未来のアメリカが舞台。疫病が蔓延し、人々は感染してほぼ死に絶えた中で、奇跡的に生き延びた女性が主人公。一人は大人でトビー、もう一人がレンという娘。二人は「神の庭師たち」という名の宗教団体に庇護されていた時に知り合う。

    同じディストピア小説でも、超監視社会という閉鎖的な世界に生きる人々を描いた『侍女の物語』とは異なり、『洪水の年』は、まともな政府が機能しなくなり、私企業がその代わりをつとめている無政府状態にある国家で生きる人々の姿を描く。近未来のアメリカは階層化が進み、一流企業に勤務する人々が住む地域はそれ以外のヘーミン地と隔てられている。

    遺伝子化学によって、異なる種を接合した動物が作り出される一方でヘーミン地に住む人々は食糧不足のため、得体の知れない肉で作られたシークレット・バーガーなるものを食べている。暴力とセックス、ドラッグが支配するヘーミン地に生きる人々の間にはいくつもの狂信的なカルト集団ができており、そのひとつがアダム一号をリーダーとする「神の庭師たち」と呼ばれる教団である。

    キリスト教を母体とする教団「神の庭師たち」は宗教と科学を教義の基礎に据えて集団で暮らしている。廃墟となったビルの屋上に庭園を造り、有機野菜を栽培し、ハチを飼い、蜂蜜を採取したり、薬草やキノコを育て、薬や食料にしている。菜食主義を貫き、動物を食べない。自分たちが死ねば、他の動物の餌となったり、堆肥の中で腐敗溶解されることを当然のことと考えている。

    地味な服を着て肉食を避ける「神の庭師たち」は、他のヘーミン地に生きる人々からはからかいの対象であり、時にはひどい扱いも受けるが、蜂蜜や手工芸などを売る行為を通じて、ある程度受け入れられていた。この物語は、その教団の歴史でもある。各章の初めには「教団歴何年」と記されている。その後に「トビー」とあればトビーの視点で語られ、「レン」とあればレンの視点で語られている。

    冒頭に「教団歴二十五年」とあるが、この時点でアメリカは疫病でほぼ壊滅している。無菌状態にある場所に隠れ潜んでいた者だけが感染死を免れている。トビーもレンもその数少ない生存者の一人。物語は、二人の生い立ち、家族関係、そして独立後の悲惨な暮らし、教団との出会い、教団での生活、教団の危機、そして迎えることになった「水なし洪水」と呼ばれる疫病の蔓延、そこからのサバイバルが、過去と現在が往還し、トビーとレンの交錯する物語として展開される。

    人間が作り出した災害は人類だけを滅ぼし、動植物や虫たちは、人間が消えた地上を我が物顔に動き回っている。こう書けば分かるように、『洪水の年』のモチーフは聖書にあるノアの方舟がモデルだ。傲慢な人間は遺伝子を操作し、神の真似をしようとして愚かにも自分たちを滅ぼしてしまう。主人公の二人は「神の庭師たち」の手によって性奴隷の状態から救い出され「水なし洪水」を乗り切る。

    一部の人間をのぞいて全滅しなくてはならないほど、人間はどんな悪行を積んだのか。自分たちだけが偉いと勘違いして、他の動物を単なる食料と考え、好き放題に食べ尽くすと同時に環境を破壊し、自然な暮らしを捨て、薬物や美容整形に頼って、本来の健康な生き方を捨ててしまった。もし、神がいてこのような有様を見たなら、第二の大洪水をおこして、人類を絶滅させるにちがいない。ただ、人間にわずかの可能性を与えるため、一部の者は助かるようにするかもしれない。

    全篇に響く「神の庭師たち」の口伝による聖歌は、もっと荘厳で、イメージ豊かなものとして書かれているが、簡単にいえば、このような考え方が教団設立の基礎にあったのだろう。トビーもレンも信仰心などは持っていない。ただ、教団の中で暮らしたことで、何かを自分の中に育てることができ、自分を守るだけでなく、他人のために何かができるようになっていく。二人を包む環境は最悪で、イモラルなものとして描かれている。その対極にあるのが「神の庭師たち」の静謐な暮らしだ。

    ただ、「神の庭師たち」はまるで60年代のヒッピーのコミューンのようなものとして描かれている。ノスタルジックではあるがそこに希望のないことは、あの時代を経験したものには明らかだ。ディストピア小説が人気を呼ぶのは、今の時代の世界の在り方が、それに地続きであるかのように感じられるからだろう。物語の中で描かれるヘーミン地は、まるでソドムとゴモラだが、富裕層であるコーポレーションの世界も目に見えないネットワークによって管理される超監視社会であり、ディストピアであることに変わりはない。

    水道を外資に売り渡そうとしたり、自国民が働かない劣悪な労働環境で移民を働かそうとしたりする今のこの国を見ていると、本物のディストピアまで、あと一歩だと実感する。そうと分かっていてもそこで生きるしかない点で物語の主人公と自分が重なる。劣悪な環境の中に放り出されながらも、そこを抜けだし、凶悪な追っ手の追跡をかわし、自分を見失わず、孤独に耐え、仲間を信じ、新しい世界に希望を抱く、そんな主人公の生き方は、この暗い時代を生きる者にひとつの希望を与えてくれる。

  • 『オリクスとクレイク』がエピソード1だとすると、本作は時間軸的にはエピソード0。前作の続きにあたる箇所は、ほんのちょっとだけだった。下巻がどうなっているのか気になる。

    ヘルスワイザーはファイザーのパロディなのかしらと思えてならない今日この頃。「構内」「ヘーミン地」という設定も、ある程度、現実味があることなのかもしれない。映画とニュースでしか見たことないからそう思うのかもしれないけど、貧民街とかゴーストタウン化した場所とか、あまりにも当たり前に映画に出てくるのは何でだろう?って考えると、あながち根拠のない妄想ってわけでもないのかもという気がしてくる。
    ただ、「水無し洪水」を起こせるのは、今やアメリカに限らないんだけれど。そこが、小説よりも現実の方の恐ろしさ。

  • 3部作の2から読むことにしたのだがやはり邪道かも。
    はじめのうちはわけがわからなくて投げ出そうかと思っていたけど、いつの間にやら入り込めたので次を読みたい。「洪水の年」下巻をね。

  • 三部作の二部目、もう一冊後があると思って読む。
    (感想は上下併せて)
    読みながら諸々を「オリクスとクレイク」で確認しなおしながら読んだ。
    これは時間をかけてしっかり読む向きの三部作かもしれない。

    本書は洪水で生き残ったものが揃ったところで終話した印象。
    なので洪水後の世界がこれからどうなっていくのかとても知りたくなった。
    青い人たちはどう世界に関わっていくのか、変わっていくのか。
    遺伝子操作された動物にも変化はあるのだろうか。

    人物描写もしっかりしているので個々の登場人物に興味を覚えるが
    ジミー大丈夫かなって一部目からずっと思って読んでるから
    レンとジミーの関係がどうなってゆくのかも知りたいし、
    特にクレイクについては掘り下げたものが読みたい。

    聖人に実在の人物が出てくることに最初は読み急ぎすぎて気づかなかった。
    そのあたり自分で調べながら読むのも面白いかもしれない。
    聖人は著者からのメッセージなのかもしれない。
    いろんなところに著者の博学と教養を感じる。

    次作の完結編の翻訳を待つばかりだが、その時には小説設定が広大なためいろいろ失念しそう。

  • 途中挫折した。

    また、今度チャレンジする

  • 『オリクスとクレイク』がおもしろかったので。
    三部作の第二弾。

    前作はエリートが暮らす構内から、本作はその時間軸に並行していくかたちで平民たちのいるヘーミン地の側から描かれる。

    この近未来の格差社会には、創作の異常さの中に現実的なものが見え隠れして背筋が寒くなる。

    人間模様というか、とりわけ女性たちの心の機微などへの鋭さが際立っている。そしてどこまでも謎めいた存在のクレイク。もうキャラとしてファンです。

    下巻へ。

  • 2019/04/15読了

  • かなり荒廃の進んだディストピア物。より一層気が滅入る作品で、理由は作者の書くことへの気迫、登場人物がまともな感覚を持つ人間達なので、行き場のないやるせなさがどうにも厳しい。主に若い女性二人の視点だが、頭でっかちでない分尊厳の喪失による絶望は少なめだが、利用価値のある若い肉体への危険さが常に隣り合わせで、生きることの厳しさがある。
    二人ともエコ宗教団体に身を置く。どの世界でも「自分」を表現するのが無意味で川の流れが変わらないように流れていくしかない。下巻はちょっと時間を置いて読もう。早く向き合うべきかな。

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著者プロフィール

マーガレット・アトウッド(Margaret Atwood):1939年カナダ生まれ、トロント大学卒業。66年にデビュー作『サークル・ゲーム』(詩集)でカナダ総督文学賞受賞ののち、69年に『食べられる女』(小説)を発表。87年に『侍女の物語』でアーサー・C・クラーク賞及び再度カナダ総督文学賞、96年に『またの名をグレイス』でギラー賞、2000年に『昏き目の暗殺者』でブッカー賞及びハメット賞、19年に『誓願』で再度ブッカー賞を受賞。ほか著作・受賞歴多数。

「2022年 『青ひげの卵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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