ポール・ド・マン――言語の不可能性、倫理の可能性

著者 :
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000247825

作品紹介・あらすじ

「比喩性」、「機械性」、「物質性」、「アレゴリー」を手がかりに、ポール・ド・マン(1919‐83年)の理論を「言語」という視点で読み解く。第一人者が書き下ろした初の本格的論考にして、ド・マンを主題にした日本人による初めての書物。

感想・レビュー・書評

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  • 2004年10月9日、綺羅星のような知性がひとつ、静かに燃え尽きて、闇の奥へと溶けていった。停滞した西欧形而上学の伝統と果敢に対峙し、挑発し、当て所無い解体に挑み続けた脱構築哲学の先駆者であり、世界の喪失を問い続けた死と弔いの人…ジャック・デリダ。

    デリダの死の翌日、ニューヨークタイムズに貧しい嘲笑に満ちた寄稿文が掲載された。そこでデリダと共に名指しで揶揄されたのが、他ならぬポール・ド・マンその人である。この文書は後に北米系知識人からの猛烈な批判と抗議を受け、結果的にデリダ再評価の契機になりもしたが、その文脈の中にド・マンの名が浮上することは殆ど無かった。

    デリダ流の脱構築を修辞学に応用するという手法で様々な概念を創出し、文学理論の分野に多大な業績を残したイェール学派の筆頭であるにも関わらず、日本での彼の受容は甚だ不十分であるように思う。主著である『読むことのアレゴリー』と『盲目と洞察』の邦訳が出版されたのも極々最近のことで、これまで彼の批評理論は端的に無視されていたと言っても過言にはならないだろう。

    構造主義周辺の著作群から少し外れてレヴィナスやブランショを読み始めた当時、店頭の書架にド・マンの名前を見つけることは、さながら滄海に一粟を求めるかの如くに困難だった。気まぐれに大学図書館を彷徨っていた折、偶然『Allegories of Reading』を目にした時は、スッと全身に鳥肌が走ったのを覚えている。

    帯にもある通り、本書は日本のド・マン研究に於ける最初の本格的な入門書である。とは言っても、潜在的なド・マン読者に向けて発信された内容なので、かなり高度な記述も散見される。論理の看過や飛躍こそ少ないが、概念の操作はやはり複雑であり、難解に思えるかもしれない。しかし、主著にあたる文献が持つ殆ど絶望的なまでの難解さは随分と整理され、十分に補われている。鍵概念の説明や取り扱いも順当である。特に"アレゴリー"に関する解説は鮮やかで、今後のド・マン研究への大いなる貢献となるだろう。

    引用やそれらに関する分析の緻密さからも、ド・マンのみならず、イェール学派全体への幅広い理解が感じられる。翻訳という精密な読みの作業を通して獲得した知見を惜しみなく披露する土田氏の碩学と寛容には、最大限の賛辞を贈りたい。

    やっと、やっと我々の指先がド・マンに触れる時が来た。彼の思想、彼の哲学、彼の読み、彼の論理と、倫理と、可能と、そして不可能とに、ようやく辿り着いた。彼を巡る様々な物語が始まろうとしている。霧立ち込める薄明の中に響く、遠く嗄れた彼の声を聴く為に、まずは本書を手に取られたい。本書には、確かにド・マンの鼓動が脈打っている。

  • 哲学はやはり本人の著書を読むのが一番いい。難解であったとしても。
    言語の基本的なことや哲学は、たまに読む必要がある。大事なことをすぐに忘れてしまうから。それが言語であり芸術であるように。

  • 傍線を引き、丸で囲み、最後は付箋が林のように立ってました。難解だけれど、実に興味深い。居間の本棚の本を総入れ替えしました。デリダ、ドゥルーズ、ラカン。どこまでも関心が拡がっていく読書体験でした。

  • ポール・ド・マンの難解な思想を、言語の本源的な「アレゴリー」性を中心に据えて読解した作品。
    ここで「アレゴリー」という語は、「別のものallosについて語るreuein」という語源を射程に含めつつ用いられている。つまり、「言葉は常にそれ自身とは別のものを指し示すことしかできない」ということだ。このことによって、言葉は常に発話者の支配圏から逃れ去り、非人間的・機械的なものとしてふるまうことになる。
    こうした主張は確かに理解できるのだけど、たとえば「私の死」は私を消滅させるものであるがゆえに、「私」のものとは言えないのだけど、それでもやはり「私の死」であり続けるように、言葉もまたそうなのではないか、と思ってしまう。そうした地点を問題にできなければ、「言語の戯れ」といった悪い意味で表層的な議論にとどまってしまうと思った。
    しかし、もちろん僕が読めていない恐れも大きいので、もう少しド・マンについては読んでいきたい。

  •  この本では、ポール・ド・マンが「比喩性」、「機械性」、「物質性」、「アレゴリー」を手がかりに「言語」を読み解いた本です。ポール・ド・マンの理論について読んでみたい方は、ぜひ読んでみてください。
    (匿名希望 外国語学部 外国語)

  • ポール・ド・マンの各著作から見受けられる思想を幾つかのキーワードに絞ってアプローチしていく内容。

    平易な言葉で、各キーワードが関連しており『統一』がとれている。
    ただ、この優れた統一というのがド・マンの思想には厄介なものなのかもしれません。

    分かり易いので、この本の内容を受け入れてしまいそうですが、読み終えたらド・マンの著作に入っていくと良いと思います。

    いずれにしろド・マンの著作に入る際の格好の副読本となることは間違いないと思います。

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著者プロフィール

1956年、長野県に生まれる。1987年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。千葉大学名誉教授。専門はフランス文学・文学理論。
著書に、『現代文学理論—テクスト・読み・世界』(共著、新曜社、1996年)、『ポール・ド・マン—言語の不可能性、倫理の可能性』(岩波書店、2012年)、『現代思想のなかのプルースト』(法政大学出版局、2017年)、『ポール・ド・マンの戦争』(彩流社、2018年)、『他者の在処—住野よるの小説世界』(小鳥遊書房、2020年)ほか、訳書に、ショシャナ・フェルマン『狂気と文学的事象』(水声社、1993年)、ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー—ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、2012年/講談社学術文庫、2022年)、バーバラ・ジョンソン『批評的差異—読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局、2016年)ほかがある。

「2023年 『私はとんでもない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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