- Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
- / ISBN・EAN: 9784002601533
作品紹介・あらすじ
六十万の日本人が極寒のシベリアに抑留され、七万人が死んだ。その人たちの軌跡をたどることは、二十世紀の歴史をより深く読みとることだ、とこの十年間、私は思ってきた-。旧ソ連から日本各地をめぐる執念の取材で明らかにされたさまざまな人生はスターリン統治の悲劇と大日本帝国の国体の実態を照射し、飽食の時代を撃つ。痛恨の書下しドキュメント。
感想・レビュー・書評
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十年をスパイ嫌疑に生きしシベリアに 名誉回復の知らせ いま八十路
坂間文子
シベリアに抑留された60万とも言われる日本人の中に、「戦犯女性受刑囚」が30数人含まれていたという。掲出歌の作者は、その1人。だが、歌にあるように、1992年、旧ソ連最高軍事検察庁による「名誉回復証」を受け取った。無罪を証明する「わび状」である。すでに80歳を過ぎての名誉回復だった。
アカシアの街大連の生まれ。病弱で、自立のために独学で語学を学び、英語を教えていた。その収入で、日本の大学に通う弟妹の学資も助けていたそうだ。45年の敗戦時、ソ連領事館の日本語教師をしていたことで捕らえられ、翌年、突然の刑宣告。判決理由すらなかったという。
囚人列車で向かったラーゲリでは、工場などで働いたが、栄養失調や高熱で左耳の聴力を失ってしまう。同じような境遇だった日本人女性が、結核で若くして亡くなる姿も目にしながら。
刑期である5年満了後、さらに5年の流刑地処分。ロシア語も堪能になっていた。55年にようやく日本へ渡ったが、会いたかった父は、とうに世を去っていた。
その後結婚し、40数年という長い月日が過ぎる。名誉回復で、不当、違法な行刑であったことは明かされたが、日本の憲兵隊の証言などが、彼女の立場を不利にさせていたことも同時に明らかになった。
坂本龍彦の著書に、彼女の生涯と「八十路」当時の言葉が収録されている。「シベリアは私を鍛えてくれたもう一つの故郷」と語るその静かさが、逆に胸に迫る。
(2013年8月18日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
シベリアで生死を分けたのはなんであったか。そういえば、松島トモ子(若い人は知ってるかな)のお父さんもシベリアで亡くなったのだ。