連環記 他一篇 (岩波文庫 緑12-9)

  • 岩波書店 (1991年2月18日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (151ページ) / ISBN・EAN: 9784003101292

みんなの感想まとめ

人間の多様性や生の繋がりを深く掘り下げた作品は、様々な立場や才能を持つ主人公たちが環を成しながら描かれています。再読を通じて、登場人物の生々しさや人間らしさを再認識し、彼らの物語がどのように繋がってい...

感想・レビュー・書評

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  • 1991/3/8
    2025/6/11再読
    松岡正剛の「日本数奇」を読んで改めて読み直したくなった「連環記」
    文庫購入時(91/3)以来だから34年ぶり。
    内容の記憶はあまり残っていなかったけれど、今回読み直してみると人それぞれの才能や立場等は様々あれども、それ以上にやはり一人ひとりが生身の人間なんだなと思う。
    全体の流れの印象はタイトルのように様々な主人公それぞれが繋がって環をなしているような印象。

    一緒に収められている「プラクリチ」は比丘尼の発端となった物語でこれもいろんな思いが浮かんでくる話だった。
    人の平等を説いているような釈迦の教えの元でも、それ以前の社会の階層が大きく尾を引いている状況と、それを克服すべく平等を唱えながらも平民と僧の間に生み出された新たな階層の違いがもたらす人間の実態を教えてくれる。

    古代ギリシャの民主政も奴隷制度が前提の仕組みだった。
    ここでの釈迦の教えもはじめは女性を埒外にした内容だった。
    生まれや育ち、言語、環境によって古代からの人間社会に生じていた差別・区別を宗教は解消しようとしたのかもしれない。
    でも教えを信じるか否かで同じ人間同士を別の視点で区別したのもやはり同じ宗教なんだろうなと思う。
    さらに言えば同じ生きもの同志の間に境界を設けたのも特定の宗教なのかなと思う。

    動物達の何げない姿を見て人間みたいだという人は多いけれど、彼らが人間らしいのではなく、人間が彼らの感覚をそのまま受け継いでいるから。
    哺乳類の子供を見ていて可愛らしく感じても、昆虫の子供(芋虫や毛虫)には親近感がわかないのも人間はあくまでも哺乳類の末裔だから。
    そう考えると言葉や意思の力で優位に立っていると勘違いをしている人間も所詮は彼ら諸先輩の後を追っているに過ぎない。
    それら自然な感覚をも無視・拒否する人間がいる現代が果たして古代より進歩しているのかどうか…。

    岩波文庫 1991/2/18 1刷

  • プラクリチ、連環記の2篇。プラクリチは直前に読んだ鳥の物語で同じテーマを扱っていたので何とか読めた。連環記は平安時代の僧の話。仏教や経典を題材にしたものは余り趣向に合わず、読みづらく感じた。難しい。幻談や五重塔の方が趣味に合ったなあ。

  • 露伴晩年の中篇。慶滋保胤(陰陽道の賀茂氏)を軸に古典を渉猟・註解するような形で物語を展開させる。

    言い回しに、あれ高村薫、あれ町田康、あれ赤松啓介と気づくところがある(あくまで自分の知っている範囲で恐縮)。直接かは知らんが、何がしかの影響を与えているのだろう。

    味わいはあるのだが、何の味か言い当てられない感じ。悟っているというには俗っぽいが、鳥瞰的に登場人物の生をみて超然としている。「プラクリチ」併収。

  • 幸田露伴『連環記』

     昭和16年発表、露伴最後の小説である。歴史考証と小説が混ざったた文であり、なかなかに面白い。露伴(1867〜1947)は中学校を家庭の都合で中退し、東京都図書館で独学したり、漢学塾にいったり、電信技師として働いたり、とにかく明治人らしい苦学した人である。漱石が学者から小説家になったのとは反対に、露伴は(電信技師をやめて)小説家として立ってから学者となり、京都帝国大学から博士号をうけている。『大蔵経』を読破したそうである。
     『連環記』は平安朝の物語である。牛車の牛がムチで打たれるのにも同情して泣いちゃう都人、慶滋(賀茂)保胤が出家して、なかなか荒っぽい増賀上人に教えをうけ、保胤(寂心)が弟子寂照をとって、寂照が宋に使いして、真宗に会い、蘇州で丁謂という高官に保護をうけ、宋で命を終えるという筋である。寂照は俗名、大江定基であり、三河の国守であったが、駅館の女、力寿(りきじゅ)にほれてしまい、妻を離縁するも、まもなく力寿も死んでしまい、出家したのである。定基と力寿を別れさせようと、赤染右衛門(歌人、女性)とか、その夫の大江匡衡らが、和歌を贈って諫めたり、孔子が離婚したかどうかと五経の知識で勝負したり(匡衡と定基は文章博士の家柄で両方とも儒者)、なかなか面白い記述がある。定基は死んだ力寿を葬るのに躊躇し、死体をしばらく安置していたのだが、ある日、死体に口づけして、「あさましい香」を嗅いで、泣く泣く葬るのであるが、これを露伴は人間の愛情の究極まで突きぬけたものとして扱っている。「解説」では南方熊楠の説も引かれており、熊楠はこれを「ネクロフィリア」(死体愛)の異常性欲として理解しているそうである。なんでも、「精神鑑定」して分かった気になるよりも、露伴のように人間のあり得る姿としてとらえた方がいいのではないかと思う。別れた妻と(僧として)乞食をしている寂照が再会する部分はなかなかに凄惨な文体である。
     併収の「プラクリチ」は明末に流行した「首楞厳経」の概説と、その解釈である。仏弟子アーナンダにほれてしまった不可触民のプラクリチが、アーナンダに恋い焦がれるあまり出家してしまい、出家したことで恋愛感情を超えてしまうという話である。露伴はプラクリチを娼婦とする解釈を退けている。母に頼んで魔術をつかい、アーナンダを呼び寄せ結ばれようとする場面も、そういう巫術を行う階級であったのかもしれないと解く。ここでも、博学を駆使ししつつも、極端な解釈をさけて、人間の感情をうきぼりにして、あり得る話だなと思わせる。科学主義もいいが、「深層心理の分析」や「カウンセリング」の名の下に、かえって人を追い詰め、生徒を自殺に至らせる「指導死」という事件もある昨今、露伴の小説から人間理解を学ぶのもいいのではないかと思う。

  • 表題作『連環記』と『プラクリチ』が収録されている本。
    『プラクリチ』の冒頭の恋愛とは何か、ということが書かれている部分がとても素敵だと思った。
    内容はどちらも難しい。
    理解できるだけの教養がないな、と反省した。
    それでも何度も読みたくなるのは、きっと途中の描写が面白いからだと思う。
    教養が高い内容なのに、描写はすごく身近なものを使っているのが可笑しかった。

  • たった76pなのに、壮大な絵巻物を眺めてるみたいだった...

  • 983夜

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著者プロフィール

1867年(慶応3年)~1947年(昭和22年)。小説家。江戸下谷生まれ。別号に蝸牛庵ほかがある。東京府立第一中学校(現・日比谷高校)、東京英学校(現・青山学院大学)を中途退学。のちに逓信省の電信修義学校を卒業し、電信技手として北海道へ赴任するが、文学に目覚めて帰京、文筆を始める。1889年、「露団々」が山田美妙に評価され、「風流仏」「五重塔」などで小説家としての地位を確立、尾崎紅葉とともに「紅露時代」を築く。漢文学、日本古典に通じ、多くの随筆や史伝、古典研究を残す。京都帝国大学で国文学を講じ、のちに文学博士号を授与される。37年、第一回文化勲章を受章。

「2019年 『珍饌会 露伴の食』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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