- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003234013
作品紹介・あらすじ
とりあえず、結婚だ。-宗教者をめざして勉強する青年は決断した。しかし現れた仲介業者がどうも怪しい。"樽いっぱい花嫁候補のカードだよ"とうそぶくのだが…。ニューヨークのユダヤ人社会で、現実と神秘の交錯する表題作ほか、現代のおとぎ話十三篇。
感想・レビュー・書評
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岩波文庫の新刊案内で発売を知り、即決。
どの短編に出てくる人も貧しい。勤勉に生きているけれど、豊かさからはほど遠く、日々の暮らしに汲々としている。ナチスの迫害から逃げてきたユダヤ人というだけでは、アメリカでの豊かさが保証されるわけではないのは当然といえば当然なのだけれど、石川啄木の「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざり…」という短歌のように、ちょっとやそっとでは逃れようのない貧しさのなかに身を置いてしまった人々が描かれている。そして、そこへ飛び込んできた、同じく貧しい招かれざる客が引き金となる事件のかずかずは、読み始めから読後まで、すごく苦い感情を生む。同じ貧しさの中の感情を描いていても、O.ヘンリーなんかはよほどわかりやすく、10人いたら9人は軽く「ああ、よかったねえ」と思うようなあたたかな結末が用意されているものが多いのだけれど、マラマッドの短編はどれも、「ああ…そうなるのか…でもそれはどうしようもないことなんだよなあ…」と、登場人物が崩れていくのを、嘆息しながらじっと見守っているしかない。
どの短編も淡々とした筆致ながら、状況の繰り返しや盛り上げが巧みで、終盤の切り返しからラスト数行が劇的で美しい。表題作の『魔法の樽』はシニカルさがナサニエル・ウェストの『孤独な娘』と似ているような気もしたが、最後の行の苦い余韻がまた見事というほかにない。ほかには、所用でイタリアに滞在するアメリカ人(正確には、第2次世界大戦の終結までにアメリカに渡った、ユダヤ人移民1世)を題材にした作品群が面白かった。うすうす感じてはいたが、第2次世界大戦の敗戦国であるイタリアに暮らす人からみれば、個人の所得レベルはどうであれ、アメリカ人は戦勝国の「リッチな」人々で、そのリッチさにすがりたい人間はイタリア人だけではなくても、「同胞」のユダヤ人にも掃いて捨てるほどいる。その切実であざといすがりつきに翻弄されるアメリカ人の様子が息苦しい。その追いすがる様子から逃げようとして、逆にとらわれていく立場の展開はミステリアスで鮮やか。『「ほら、鍵だ」』の、部屋のあるじの意趣返しも強烈だった。
読書に明快さや爽快感を求めるかたには決しておすすめしないけれど、人生について回る、地味なつらさや弱さに目を向けることがお嫌いではないかたには、とても面白い作品集ではないかと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
水木しげる感が強い。
死神とかネズミ男とかメフィストとかにも似た、胡散臭くておせっかいな邪魔者キャラ。
それらに付き纏われるのだが、邪険にする内に、実は彼がどうしても必要な存在である事に気付き、探すと大抵、行方が知れなかったりする、というパターンが多い。
水木しげるは勿論、ゲーテ「ファウスト」からの影響なのだけれど、ここではやはりユダヤ教(あんまり良く知らない)との関係を表しているのだろう。
「天使レヴィン」は、まあ、自分で天使と名乗っているので天使なのだろうけれど、ここでの邪魔者キャラは、信仰そのものであり、信仰を象徴したものとして現れた天使的な精霊的なもの。
つい外見だとか役に立つ・立たんとか、そういうスペックで物事を判断しがちなのだが、信仰というものは有用性だとか合理性だとか現世的な見返りは関係なしなのでしょう。
そういう意識で信仰して初めて信仰が意味を持ってくる。
(解説にもあるとおり、食へのこだわりが強く、といってもグルメなのではなく生きる証としての食、とでも云うのか。そのあたりも水木しげるっぽくて、いいんです。)
追うものと追われるもの。蔑むものと蔑まれるもの。迫害するものと迫害されるもの。憐れむものと憐れまれるもの。
そういった関係が、ある時、魔術的にくるッと反転するのだけど。それが、実に衝撃的で、胸を突かれる事なのです。そこで何か、悔悛というのか悔悟といのか、そういう悔い改めのようなものがぶわーっと溢れ出す快があって、それこそが最大の魅力でしょう。
どれも途轍もない傑作で、しかもあまりの悲しさつらさ切なさに胸が潰れてしまうのであるが、最も泣いたのは「湖の令嬢」。次いで「はじめの七年」「牢獄」「夢に見た彼女」「魔法の樽」、、いや、結局殆ど題名を挙げねばならぬことになりそう。
カウリスマキ映画が好きな人にはたまらんご馳走でしょう。
そしてはっきり、難しい、とも言っておかねばならないかも。
お客さんではないので、自分で読み取らなきゃならないんです。
限りなく推敲され、凝縮された美。そして最後の一瞬の、居合斬り。場合によっちゃあ、斬られたことさえわからない。
緻密に作られた工芸品であって、その扱い方、読む呼吸を体得すれば、読めば読むほどスルメの如き味が染み出し、人生と密接に係わってくる、こうしたチェーホフ系の短編の魅力に憑かれる事になるであろう。
では、また。さようなら。 -
仕事のない作家、学校を止めてしまった若者、住居を追い出される年金生活者など、平穏ではない状況の中で暮らす主人公の周りで起きる事件の展開と上手く行かない状況に、苦しさを感じさせながらも面白く読むことができた。貧困な生活が舞台として描かれ、どの作品もユーモラスなでありつつもどんよりと暗く、読んで単純に楽しい気分になったりする本ではなかったが、先の読めないストーリーの進み方や、この後が強烈に気になるエンディングなど、まさに短編小説の魅力満載の一冊だった。
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渋いなあー。渋さって舌の下のふちに吸い付くような感じで刺さってくるよね。
ロシア系のユダヤ人、奥さんがイタリアカソリックなので他のイーディッシュ文学とまた毛色違う感じ。文学度は高い。
戦後のユダヤ人の人生の見つめ方って、でかいホースから泥水を噴射するようなイメイジッ。
なんかこの人は諦め感が強い感じ。誇りを持ってない訳じゃない、しかし敢えて自分がユダヤ教を選んだ訳ではなく、家族がユダヤ人だっただけだ、というような。この辺の感覚が日本人の宗教感と合っているような、そうでもないような。2つ位既読。 -
とてもよい。
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若干の光明がチラチラしながらあんまり救いのない灰色の町人生活を綴る短編集。朧げに幻想小説的な趣きもある。
ファンタジックな夢見心地もダウナーな灰色感もそれなりに好み。
黒人の天使のエピソードが個人的には特に印象的に残った。 -
貧しさと人種と古典と軽妙さと立ち込める煤の匂い、が魔法の樽に詰まって溢れ出したみたいな短編。ママラッドを知らなかったけれど、外国文学でこんなにも目の前に風刺的なイラストが浮かんできそうな物語を初めて読んだ。
読むと自分の感情が分からなくなる。 -
物事を進める自分の行為は、理性的だったり、衝動的だったりします。この本は、行為とその結果に視点を強調してるみたい。思わず自分を振り返ってしまう、教訓的「おとぎ話」。
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苦く劇的でもないO・ヘンリー、もがくシャルル・ルイ・フィリップ、情緒不安定なレイモンド・カーヴァー。こんなふうに他の作家の名前をあげてしまうのは、やはりマラマッドが人情を描く伝統的な方法に則って小説を書いているからなのだろうけれど、あまり良い言い訳ではない。しかし私はこの短篇集に、今まで読んできた貧者を描く小説の、読書歴としての総決算を見る思いがしてならない。『魔法の樽』は貧しいユダヤ人を描く小説だけれど、その貧しさは端々に描かれるユダヤ文化の特異性を通り越して、世界中のあらゆる貧しさに通底するものがある。その貧しさ、文化を愉しむのもひとつの読み方だろうけれど、とりあえずその前にと、登場する数多の人物たちにコーヒーの1杯も奢ってあげたいという気分になる。寄り添いたくなる。しかし本人が目の前に現れたら、やはり自分は戸惑うだろう。だいいち1杯のコーヒーが何になるのか。他に何をしてやれるというのか。結局は言い訳ばかりでしてやれることなどひとつもないだろう――そんな葛藤と悲しみが身に沁みる短篇集。
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ニューヨークのユダヤ人移民たちが貧困に喘ぎながらどうにかこうにか生きる姿を、皮肉と悲哀を込めて描いた十三篇。冒頭の「はじめの七年」と最後の「魔法の樽」はいずれも縁談の話で、まあハッピーエンドと言えるけれど何ともほろ苦い。
「ほら、鍵だ」「湖の令嬢」などでは彼らはイタリアに渡る。ここでも悲運と貧苦に責め立てられる。どの話もカタルシスは望めない。しかしうまい。何をやってもうまくいかない人々へのまなざしは優しく、描写には詩情がある。
食事や慣習などユダヤ文化がよく描かれ彩りを添える。とはいえ移民の生活苦は出身民族を超えて共通だったのではないか。出版当時、多くの読み手が「これは自分たちの物語だ」と感じたことだろう。