ヴィルヘルム・マイスタ-の修業時代 (上) (岩波文庫 赤 405-2)

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  • Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003240526

作品紹介・あらすじ

舞台は十八世紀封建制下のドイツ。一女性との恋に破れ、演劇界に身を投じた主人公ヴィルヘルムは、そこで様々な人生の明暗を体験、運命の浮沈を味わう。ヘルマン・ヘッセやトーマス・マンらが範としたドイツ教養小説の代表作。新訳。

感想・レビュー・書評

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  • ドイツの文豪ゲーテ(1749-1832)の長編小説、1796年。自らの内面において世界と闘争状態にある青年が、他者(女性を含む)や世間との交渉のなかで挫折や苦悩を経験しながら、自我と世界とを和解させ、自我を世界において調和的に定立していく「教養小説(自己形成小説 Buildungsroman)」の形式を確立させた作品としても知られる。

    かなり奇妙な物語であると思う。終盤はミステリのような雰囲気も出てくる。秘密結社が出てくるからというわけではないが、チェスタトン『木曜日だった男』に通じる非現実的な雰囲気を感じた。登場人物が多く、それぞれの関係も錯綜している。



    ゲーテは、後の世代からロマン主義の先駆者と評価されることになる。ここでは、ロマン主義とは「自我の全体性(「本当の自己」)を回復し、形而上的な価値(美)を希求する」精神の態度である、と要約しておく。ロマン主義は、近代ブルジョワ社会に対する「反動」として出現した。

    中世の目的論的世界観から転換して機械論的世界観が浸透した近代ブルジョワ社会において、人間は、世界との有意味な結びつきが断たれ、形而上的な価値との紐帯を喪失してしまった。その結果、近代人は、他者の眼差しのなかで交換可能な機能へと断片化し、他者の存在に依存しなくては自己の同一性を確認できなくなった。また、超越者や形而上的価値との関係において自己の生の意味を確認することが不可能となり、せいぜい比較計量可能な形而下的価値(富・快楽・権力)を他者よりも多量に所有する以外に生きる理由を見出せなくなった。以下の引用箇所は、全体性を喪失したブルジョワが置かれた状況をよく表している。

    「市民[ブルジョワ]は、『お前な何者なのか』とたずねることはできない。『お前はなにを持っているか、いかなる見識、知識、能力を持っているか、どれほど財産を持っているか』が問われるだけなのだ。貴族は人格の表示によってすべてをあたえることができるが、市民は人格によっては何物もあたえることはできないし、またあたえるべきではないのだ。貴族は光り輝くことが許されるし、またそうであるべきなのだ。市民は存在するだけでなければならない。[略]。貴族は行為し、影響をあたえなければならない。市民はなにかを成就し、創造しなければならない。市民は役に立つためには、個々の能力を鍛え上げなければならない。そしてそれには、彼の存在に調和がなく、またあってはならないということが前提となっている。なぜなら、ひとつの方法で役立つためには、ほかのすべては放棄しなければならないからだ」(中巻p150-151)。

    「つまりぼくの愉快な信条はこうだ。きちんと仕事をすること、金を儲けること、家族と楽しく暮らすこと、これらの役に立たぬかぎり、世間のことは気にかけぬこと、だ」(中巻p144)。



    ブルジョワ社会が強いる「偽りの自己」から脱却して「本当の自己」を回復させること。こうしたロマン主義的な問題意識が、ヴィルヘルムが自己形成を模索している方向性の背後にはあるということが、以下の引用箇所からわかる。ここに挙げた言葉は、現代人の「人生訓」としても通用するだろう。「本当の自己」という現在一般に流布している観念は、俗流化した実存主義から来ているものかと思っていたが、ロマン主義の感性にまで遡れることに気がついた。尤も、一切の規定に先立つ「実存」という観念は、ロマン主義のいう絶対的自我をさらに先鋭化したものであるとも言えるかもしれない。

    「一言でいえば、あるがままの自分を残りなく育て上げること、それがおぼろげながらも、幼い頃からのぼくの願いであり、目標だった」(中巻p148)。

    「仮面をぬぎ捨て、いつも心の命ずるままに行動しました」(中巻p299)。

    「[略]、君が自分自身のうちに、君をあますところなく感じとるならば、そうすれば君は、ほかの人のなかに自分を感じとることのできる場所と機会をきっと見つけ出すだろう」(上巻p84)。



    とはいえ、ゲーテがこの長編小説を専らロマン主義的な立場から書いたとは思えない。自我を絶対化して世界をほとんど無化しようとするロマン主義の青年的な極端さとは対照的に、成熟したゲーテは職業を通して自我と世界との均衡を目指す。一切の規定性を忌避する芸術家による「内面のアナーキー」に対して、職業倫理に裏打ちされた市民[ビュルガー]の「節制」を。病的なロマン主義の極端さに対して、健全な古典主義の均整を。

    「ある者は美のみを、ある者は有用なもののみを育て上げるが、二つのものが一体になって初めて人間が出来上がる」(下巻p237)。

    「初めて世の中に出る人間が、自分の能力を高く評価したり、多くの美点を身につけようと考えたり、あらゆることをやってみようとつとめたりするのはいいことだ。しかしその人間形成がある段階に達したならば、もっと大きな集団に溶けこむことを学び、他人のために生き、義務的な活動のなかで自分を忘れることを学ぶのが、プラスになる。人間はそのとき初めて自己を知るのだ」(下巻p132)。

    「もはや彼は世界を渡り鳥のような目では見なかった。建物も、立ち去る前にすでにもろもろになってしまう、急場ごしらえの小屋とは考えなかった。彼が基礎を置こうと思っているすべてのものが、子供のために役立ち、彼が作り上げるすべてのものが、何代にもわたってつづいて欲しいと考えた。こう考えるだけで、すでに彼の修業時代は終わったのであり、父親の自覚と市民のあらゆる美徳を身につけていたのである」(下巻p147-148)。

    これらもやはり現代人の「処世訓」としては受け入れやすいものであるが、しかし「市民」たることによって、近代社会がもたらす存在論的不安を解消できるとは思えない。続編『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』ではこの問題がどのように展開されていくのか。秘密結社(宗教的小共同体)という独特の関係性に興味がある。

    □ その他、引用をいくつか。

    ヴィルヘルムの目に映る劇団連中のブルジョワ的な生態が、現代の大衆の姿と重なって見える。

    「連中は自分のことはまるで知らない。なんの思慮もなく芝居をやっている。そのくせ要求だけはきりがない。[略]。誰もがスターになりたがり、しかも自分だけがスターでいたいんです。ほかの者をみんな蹴落とそうと思い、みんなといっしょにやってさえろくなことができないってことがわからないのです。誰もが特別の天才だと思い上がり、そのくせ十年一日のことしかできないわけです。それでいて新しいものを求めてしょっちゅう騒いでいる。連中のいがみ合いに激しさときたら! 彼らを結びつけているのは、細かしい利己心、偏狭きわまるエゴイズムです。助け合いなんて論外です。ひそかな奸計と浅ましい陰口で、不信の念はいつまでたっても消えません。厚かましく生きなければ、馬鹿にされるだけです。誰もが絶対の尊敬を求め、少しでもけなされると腹を立てます。[略]。いつもがつがつしていて、誰も信用しない。理性と、いい趣味ほどこわいものはなくて、めいめいの我儘勝手という特権だけはぜひとも守りたい、という恰好ですね」(下巻p28-29)。

    「修業」が一向に終わりそうにない自分のことを言い当てられたかような箇所。

    「しかし彼は、経験に欠けていることに気づく機会が多かったので、他人の経験や、彼らがそこから引き出す結論に、過度の価値を置き、そのためますます混迷におちいった。彼は自分に欠けているものを補うには、書物や会話で出合った重要と思えることをすべて、書きとどめ、集めるのが、もっとも手っ取り早いと思った。そこで彼は、面白いと思った他人や自分の意見や考え、それどころか会話全体を書きとめ、哀れにもこうして、事実も誤謬もともに抱えこみ、一つの観念に、いや、一つの文句にさえいつまでも固執し、しばしば他人の灯火を導きの星とすることによって、自分の本来の考え方や、行動の行方を見失ってしまった」(中巻p140)。

    自分の内面に沈潜し、そこから内発的に湧き上がってくるものに立ち返ること。

    「自分にふさわしい才能をもっている者は、その才能のうちに、もっとも素晴らしい人生を見出すのだ。[略]。内的な衝動、興味、愛、これが障害を乗り越えさせ、道をひらき、他人があくせくと苦労しているせまい圏から救い出してくれるのだ」(上巻p82)。

  • やっぱりゲーテはいいね。
    すごく具体的で簡単な言葉を使ってるんだけど、一言一言がよく練られていて深いし、多くのことを象徴しているのが感じられる。
    メーテルリンクの青い鳥に通じるものがある。

  • 全巻を通して読んだことのある人以外は、巻末の訳者解説を読まないでください。ひどいネタバレがあります。推理小説の犯人が一行目で明かされていたような衝撃。推理小説読まないけどきっとそう。とにかく鬼畜レベルです。

    ヴィルヘルム青年は幼い頃からの情熱に従い演劇を志す。
    経験が人間を形作る。

























    ネタバレ
    ミニョン が しぬ。
    訳者解説ううううううううううう!!!!!!!!!!!

  •  『徒弟時代』(本書)は“複式簿記”が登場する稀有な小説の一つとしても有名。以前それを偶然知ったので、『ファウスト』を借りたついでに本書も読んでみました(当該個所については引用機能を使いました)。

     作品自体にはあまり期待していなかったのですが、想像以上に良かったです。

     まず、文章がとても綺麗。岩波の翻訳でこれだけ綺麗なのだから、原文はおそらく信じられない程美しいのだと思います。

     また、ゲーテの人生経験の豊富さと人間観察眼の鋭さを感じさせる登場人物の書き分け方の巧みさに脱帽しました。
     様々な信念を持った人々が登場して、その誰もに芯の強さが感じられるというのは凄いと思いました。おまけに、どの人物も現代社会に通じるような精神性を持っていて、現代小説に今も尚匹敵する作品だと思います。

     そして、これはゲーテの好んで使う手法のようですが、登場人物の感情が大きく揺れ動く様なシーンを吹っ飛ばしてます。

     『ファウスト』のレヴューでもその点について触れたのですが、ゲーテは作品の理性的で安定した流れを妨げないように、この様なシーン吹っ飛ばしを好んで用いるのかな?と思いました。

     しかし、こうも様々な主張が繰り広げられると、読者としてはゲーテが最終的に誰の主張を自分の主張として押し出して来るのか気になってしまいますね!

     簿記のシーンだけ読んでおこうと思ったんですが、この際なので続きも読もうと思います。

  • 読み始めはあまり面白いと思わず、ページが進まなかったが、失恋後から展開が変わり一気に読めた。演劇はさほど詳しくはないが、読み易く興味を持ち始めた。ミニヨンが可愛い。エッグ・ダンスを実際に観てみたいものだ。中巻以降も楽しみだ

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/707701

  • 主人公であるヴィルヘルムの挫折から転向(劇団員→商人)になる過程を描いた第1巻。

    古典作品ではある。しかし、夢と恋にただ盲目的になっていた少年が挫折を経験し、勤勉な商人になった上巻は普遍的なメッセージ性を有していると思う。
    もっともどんな挫折をしたかまでは書いていないが。

    まぁ若い頃は近視眼的に、全ての道が成功へと続いているように思えるんですよね。挫折という意味では私自身も同じだ。

  • 実際に読んだのは古本です。幼い頃に読んだことのある人も多いでしょう。あの『君よ知るや南の国』の原作です。

  • 長い間Buildungsromanの範として仰がれてきたゲーテの小説。ここで示される「陶冶」(Buildung)の理念は、そのまま受容される形であれ、反発される形であれ、様々な形態で影響を与えてきた。18世紀ドイツにおける人間性の理想を知るうえで格好の材料となる名作である。

  • 1796年に発表された小説で、内容から「教養小説」とも言われているそうです。
    主人公のヴィルヘルムが青春時代に女優に初恋をし、その恋に敗れ、演劇を志し、その過程でいろいろな女性に接し、人間力を磨いていく。
    というストーリーと構成なのですが、この構成がまさに教養と言われるところだと思います。表面上の物語もさることながら、その節々に散りばめられた格言や金言が「生きること」そして「生き方」を教えてくれます。

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