- Amazon.co.jp ・本 (439ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003240939
感想・レビュー・書評
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生前にゲーテと対話したエッカーマンの回顧録。
多種多様な分野の話で、自身の理解が届かないと感じるのは教養不足なんだろう。
またしばらく置いてまたチャレンジしてみよう。
265冊目読了。
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一貫して、
永遠真理、普遍の法則を探究しているゲーテの深遠な洞察が光るエッカーマンとの対談。
幸福について
学びについて
生きるということについてなど語られる。
「私は、作家という天職についているが、大衆が何を求めているとか、私が全体のためにどう役立っているかなどということを決して問題にしてこなかった。
それどころか、私がひたすら目指してきたのは、自分自身というものをさらに賢明に、さらに良くすること、自分自身の人格を高める、自分が善だ、真実だと認めたものを表現することであった。」
人のためにと自分を犠牲にして行う行為に幸せはなく、全体の幸せとは、自分自身を幸せにし、その上でまわりにも良い影響があり、それをめいめいが行っていった結果であると。
自分自身を高めていく。 -
12/12
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第三部
まえがき
一八二二年
一八二三年
一八二四年
一八二五年
一八二六年
一八二七年
一八二八年
一八三〇~一八三二年
『ゲーテとの対話』第四部のための草稿より
ゲーテ年譜
解 説
人名索引
ゲーテ作品名索引 -
感嘆させられることが多くて、その度にそれをせっせと書き留めた。
水木しげるさんが戦場でお守りは落としても、この本だけは肌身離さず持ってたらしい。
あの人もきっと、ゲーテの優れた、有益な言葉に励まされたんじゃないかと思った。 -
2004/07/29読了
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永続する対話は、学問分野を横断するクロスオーバーなので飽きることなく喜々として長い螺旋階段をのぼれる。何が読むわたし自身の興趣をそそるか、何が我が道をゆく上でのわたし自身の支えとなる大切で貴重な文章なのか、何が時勢の成り行きを超えて敬愛されてきたのか、その中で更に何が今後も人々の心に訴え、関心を惹きつづけるのか、そんな事々に精神のうなずきの合図を送り、想いを凝らして読み進めた。焔のように魂を燃やす言葉にゆきあたるつど、陶酔だけで満足せず、同時に、或いはその先にある奪還を感じられるように眼点をとぎ清ませた。
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こうした古典を読みつけてないため、読破するのは難しいかと思っていたが、1ヶ月かかって読破した。
この本を開く前は予想もしなかったが、おもわずふふっと笑ってしまったり、読みながら涙したり…… 様々な感情が自分自身の中で渦巻いた。ゲーテとエッカーマンの戻らないかけがえのない時間がこの本には詰まっている。
もちろん、私の頭では理解できない部分が多いが、現代にも通じる言葉も多く、線を沢山引いた。
日頃モヤモヤしていて言葉に出来ないことも、心にスっと入るようにゲーテが表現していて、読んでいて胸がすく思いがした。
同時に、ゲーテならこのコロナ禍に生きていたらどのような言葉を残したのか?日々起こる出来事にゲーテはどう考えるのか?という新たな問いが自分の中で生まれるようになった。
ゲーテは聞き手としても素晴らしい。本書はゲーテから著者に語りかける言葉で構成されているが、弓矢と野鳥ヲタのエッカーマンの話を、その分野に明るくないゲーテが聞く場面がある。
相手を褒めながら、核心をつく質問をして相手をのせてさらに話を聞き出す……様々な専門家から沢山の知識を引き出して、自らの知識そして教養としていたのだと伺わせる場面であった。
しかし、ICレコーダーが無い時代に、エッカーマンは一体どうやってゲーテの言葉を書き留めることができたのかが不思議である。
あなたがいたから、私は作品から離れたゲーテ自身が紡ぎ出す素晴らしい言葉の数々に触れることができた。
あなたは誰よりも一番のゲーテヲタなんだと思う。 -
岩波文庫 ゲーテとの対話
1822年〜1832年のエッカーマンの追補、ゲーテ年譜、人名索引など 下巻が一番充実している。下巻はまた読みたい
上中巻同様に格言は秀逸。神について、天才論など長めの論調も読み応えある。
ゲーテが神の恩寵を受けた 天才と認めたのは、モーツァルト、ラファエロ、シェークスピア。ゲーテが影響を受けたのは、シラー、ナポレオン、バイロンだと思う。
ゲーテ自身、自分の作品のうち「親和力」を最も高く評価している?読んでみたい。
ゲーテ曰く「本の読み方を学ぶのに〜私は八十年費やした。まだ今も目的に到達しているとはいえない」とのこと。
格言
*名声は労苦の泉、隠世は幸福の泉
*本質的なことに金を惜しむくらい無駄な金使いはない
*探究と過ちを通して、人は学ぶ
*同類のものは、われわれを安心させる。反対のものは、われわれを創造的にする
*人間の蒙昧さと開悟がその運命をつくる
*天才的な人物には、反復する思春期がある
神について
*神は、人々にとって〜たんなる呼び名
*神の偉大さを確信している人は〜畏敬のあまりその名を呼ぶことさえ憚るだろう
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ついに読み終わった。初めて上中下巻読み通した。難しかったし分からないことは多々あったがとりあえず初めて世界有数の偉大なもの、崇高なものと繋がることができた。単純に嬉しい。もちろん今回読んだだけですぐに何かが変わる訳ではないが、今後繰り返し再三再四読んでいく(ニーチェ)ことで少しでもゲーテに近づいて行くことが残りの人生を有意義に使うことだと思う。人の使命は生きてきた時より少しでもマシになること(稲盛和夫)ならこの道はきっと正しいはず。まだ全く何も見えてはいないが。この先に生きる糧が見つかるとそう信じてこれからゆっくりと本を読んでいきたい。途中本が古い方のバージョンに変わったのでメモったところが多少食い違っているが何個か引用を。「問題の選び方にこそ、その人がどういう人物であるか、どういう精神の持主であるかがあらわれるものなのだ。さてそこで、人間の精神はそれほど普遍性を持っていないから、すべての問題に等しく才能を発揮し、成果を挙げよ、と望むことはできない。ところで、たとえ、この著者が、あらゆることに等しく成功を収めてはいないとしても、それを扱う意図があったことだけで、私は彼を高く評価できるね。/そこで彼は、読書のむずかしさに触れ、多くの人は、愚かにも、まったく予習もせず、予備知識も持たずに、いきなり哲学書や科学書を、まるで小説同然に読もうとする、と言ってからかった。「みなさんは、」「本の読み方を学ぶには、どんなに時間と労力がかかるかをご存知ない。」/「仕事は、私たちを悩みから立ち直らせてくれるすばらしい手段です。」「生きているかぎり、頭をおこしていよう。まだ産み出すことのできる限り、諦めはしないだろうよ。」/「愚昧な輩が、高貴な人間を迫害するのなら、まだしもだ!いや、それだけではない!天分にも恵まれ、才能もある人たちが、おたがいに迫害しあっている。プラーテンはハイネを怒らせ、ハイネはプラーテンを怒らせる。こういったぐあいに猫も杓子も、ほかの者を誹謗し、いがみ合おうとしているが、世の中というのは、平和に暮して働いていくには、十分広くて大きいのだよ。それなのに、めいめいが、自分自身の才能といういわば獅子身中の虫のほかに、ごていねいにも敵をつくり出しているのだからね。」/ゲーテが眼鏡嫌いとは知らなんだ。ていうか眼鏡嫌いて何や^_^/「精神的にも肉体的にも生れつき力のそなわっている人は、きわめて謙譲であるのがふつうだし、逆に、特別精神に欠陥のある人は、はるかにうぬぼれ屋でもあるものだ。情深い自然は、より高い観点に立って劣るところのある者たちに、それを調整する緩和剤として、補償手段として、うぬぼれと高慢を与えられたように見えるね。」「とにかく、謙譲とか高慢とかは、きわめて精神的な種類の徳目であって、肉体とはほとんど関係を持たない。頑迷な人、精神の薄弱な人のばあいに、うぬぼれが現れる。だが、精神の明晰な人、天分の豊かな人のばあいには、けっして現れない。そういう人たちには、せいぜい自分の力に対する満足感が起るていどだ。しかし、この力は事実なのだから、この感情も断じてうぬぼれではなく、まったく別のものさ。」また読もう。