- Amazon.co.jp ・本 (367ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003253069
感想・レビュー・書評
-
人間の姿を描くには何もそのひとの内部だけを書くといふのがすべてではない。生活する場、土地、人間模様から描き出すことだつてできるのだ。
『ゴリオ爺さん』や『谷間の百合』にも共通して言へることだと思ふが、対象をじつとみつめて捉へて離さない強い力を感じる。目の前で撃たれてひとが死んでも、その姿をカメラに収めて逃さないカメラマンのやうな、さうした力。見つめる者に対してバルザックは決して手を伸ばさうとしない。見つめて見つめて、その先で変りゆくのをただ移す鏡のやうな。
妻や娘、親戚などバルタザールを取り巻く人間はやかましいくらいに描かれてゐるのに対して、バルタザールはその容姿と言動、周囲の人間との関係の中で起きてゐる相互作用だけである。彼が自分自身の行動に触れた発言や周囲の人間と感情を共有できるやうなやり取りはなかつたのではないか。絶対の探求といふ欲望そのもので一貫されてゐる。
周囲の人間たちの面倒なまでの微妙な心の動きや所作を描ける人間が、バルタザールの心の動きを描かないとすれば、それはかなり意識・意図されたものだと思ふ。
社会で生きる人間であるなら、周囲の人間との関係、自分自身の立ち位置といふものを少なからず意識し、集団で生活できるやうに自ら調整を自動的にしやうとする。ところがバルタザールにはそれが一切ない。物語を通して彼は迷ひためらうことはない。これこそ物語が物語たるところであらう。
そして、さうしたバルタザールのほろびゆくさままで、バルザックはただただじつと起こるに任せてゐるだけである。バルザックのとてつもない観察欲もまた、バルタザールの探求心の相似形ではないか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
マンネリとは紙一重で違う、堂々たる堂々巡り。
表紙に結末が書いてあるという岩波文庫の必殺技も作用して、読者はあらかじめ知らされた結末に向かって螺旋状に落ちていく物語を追うことになる。ここでマンネリに陥らずに、きわどく救われている理由を考えるのだが、定かには分からない。
リアリズムには乏しく、秀逸な心理描写も見当たらない。小説全体を通しての箱庭感というのが、マンネリを回避できている理由に当たるのか。狂人のもたらす悲喜劇が、家族の運命の一連の流れとして読める。狂人を住まわす町の、それ自体が生きているような姿が俯瞰される。このあたりの描かれ方が読者に力強い「それある感」を持たせているのは疑いない。この本に描かれる典型がマンネリだとすれば、人の生きる世というものが、そもそもそうなのだろう。
バルザックの作品は、そうしたマンネリを生きる、脇役たちが素晴らしい。ある出来事に際して脇役が発する言葉、行動というものの中に、その人物が背負っている状況や、経てきた歴史が想像できるように作られている。
主筋を追うのはもちろんだが、読むべきはこういうところだよね、という気がする。