- Amazon.co.jp ・本 (327ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003255148
作品紹介・あらすじ
「彼女に恋していたから,彼は苦痛だった」──裕福な趣味人マリオルは,心ならずもパリ社交界の女王ビュルヌ夫人に魅惑される.マリオルの繊細な愛情を喜びながらも,夫人がなにより愛するのは自らとその自由….独立心旺盛な女と,女に振り回される男のずるさ,すれ違う心の機微を,死期の迫った文豪が陰影豊かに描く.
感想・レビュー・書評
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恋愛をゲームのように捉える女に失望、敗北し、街を去る一人の男。。。体裁はそうだが、作者の意図としては、残酷で愚かで不感症で不幸で哀れな女、というディスり。紙ヤスリのようにザリザリくるのよ。ある日の逢引で女は言う。寒いし体調が心配なので今日はもう帰らせて。男は悟る。いーや、こいつは見せびらかしたいもの、ドレスや虚栄などのためなら、どんな寒空でも天気でもしゃしゃってくる奴だ、俺の価値など最初からないんだ、と自分の愚かさに気づく。愚かさに気づく賢さ。この人は助かったのだ。
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1890年作。モーパッサンの遺作だという。
吉田精一が戦後の永井荷風の短編について、「全くモーパッサンの骨法を以て終戦後の世相を描いたもの」と評したことを知り、モーパッサンなんて三十数年前、高校時代に新潮文庫のを(古本含めて)数冊読んだきりで、どんな感じだったかな? と思い、近年邦訳の出たこの長編を買ってみたのである。しかし吉田精一の言っていたのはきっとモーパッサンの短編のことなので、素直に新潮文庫の短編集を読み返せばよかったのだろう。
しかし、本書はとても面白かった。パリの社交界における若い男女の恋愛ゲームを描いて、なかなかに深みのある心理描写が充実しており、心理小説として優れている。
読んでみて、モーパッサンにはこんなに風景描写があったっけ? と思うくらい、情景描写が丁寧に展開されている。短編ではそんなに風景について長々とは書かないだろうから、これは長編での特徴かもしれない。
恋愛ストーリーとしては、この矛盾状態はこのあとどうなるの? と気になるような終わり方で、幸せなハッピーエンドではない。いかにもよじれてしまった男性の恋愛心理を浮き彫りにしているあたりが、モーパッサンっぽいのかもしれない。
モーパッサンの短編集なども読み返してみたい。 -
笠間直穂子(翻訳):國學院大學外国語文化学科准教授。
※國學院大學図書館
https://opac.kokugakuin.ac.jp/webopac/BB01673953 -
好き!
これを読む前に読んだラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』と比べてしまうが、ラディゲの小説に比べて三人称の語りが受け入れやすい。
三人称ではあるが、ビュルヌ夫人やマリオル自身が思っていることを、語ってくれている三人称であり三人称の語りが強すぎない、ドルジェル伯では三人称が人の心をわかったように説明するうるさい人という感じがする。
私の好みは置いておいて、ドルジェル伯では、マオとフランソワが自身の思いを表現したようなところがあまりないので読者は登場人物に引き込まれにくいのではないか?こういう三人称を用いた結果。
人が人を好きになって、互いの関係と各々について描かれる小説を続けて読んで疲れた。
それ以外のものとして『むらぎも』中野重治を思い浮かべる。
もっともっと独特な言葉の連なりで表現された小説を読みたい。
古井由吉『杳子』、中野重治『むらぎも』のような文体、石原吉郎『望郷と海』のような想像を超える体験、アニーエルノー『戸外の日記』のような固有名詞の出てくる冷たい文、chim↑pomエリイ『oh my god』新潮 のエリイの既成概念を覆すような考え感覚、そういった未だ知らぬ表現を感じたい知りたい。
そういう表現は、現代にあるのですか?、近代以前にあるのですか? 私は求めています。
If you know , please tell me
マリオルが自分とビュルヌ夫人に正直に向き合うと先の暗い苦悩が続く。
どうしようもないのなら、諦めて、違う道を探した方が明るく脳が活発になるのではないか?
しかし諦めるのは、自分の本当の欲望を偽ること?
マリオルのように苦悩してしまったら、人生や生活がもうお終いのようじゃないか。
苦悩とともに生きていくとしても、他の人を求める気にもなれないような、それほどに好きな人なら。
もっと明るい小説にできないのかな?
明るさとは、エネルギー。
音楽のようにエネルギーが伝わってくるような小説があればいいな。
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原書名:NOTRE CŒUR
著者:ギ・ド・モーパッサン(Maupassant, Guy de, 1850-1893、フランス、小説家)
訳者:笠間直穂子(フランス文学)